Archive for December of 2008
◆行動規範のズレ
2008-12-30
自分の立ち位置は、自分で決めることができる。
人の足を引っ張ろうとすれば、
その人よりも、下にいなければならない。
その行為に、それだけの価値はあるだろうか。
自分を押し上げるための行動、
一見、自分のためとみえて価値を下げる行動。
時に、人はその目的と行動の関連性を見失う。
本来、すべからく人は「自分のため」に行動する。
これは、人のみならず、生き物全般に言えることだ。
「自分のため」とは、その人の価値感に基づく。
何に快楽を感じて、何に苦痛を感じるのか。
たとえば、禁煙が苦痛の人もいれば、
タバコの煙を吸うことが苦痛の人もいる。
行動は全く逆だが、動機は同じだ。
「人は、苦痛を避けて、快楽を求める」
大切なことは、その人に定義されている、
苦痛と快楽の行動規範が、どこに向いているかだ。
何が苦痛で、何が快楽か。
本当に自分の幸せや家族、社会のために向いているのか、
それとも、それを求めていながら、逆の行動となっているのか。
人の足を引っ張るために、
自分から、自分の価値を下げる必要はない。
その愚かさに苦痛を感じることができれば、
自分が求める幸せと行動のベクトルをあわせることができる。
自分の行動規範は何なのか。
それを見直してみることは、多くの気付きを与えてくれる。
たとえば、家族と末永く暮らしていたいと思う。
しかし、タバコを辞めることは苦痛だと感じる。
ここに、欲しい結果と行動規範のズレが見える。
欲しい結果と、行動規範との間にズレがあるならば、
それを修正するための取り組みをしてみる。
その取り組みの仕方は、
まず、欲しい結果を具体的に思い描くことだ。
苦痛を取り除くためのマイナスのエネルギーよりも、
幸せを追求するプラスエネルギーの方が強い。
プラスの行動規範を強化してみよう。
それでは!
18:59:25 -
Mikamos -
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◆「ねばならない」改め
2008-12-25
目の前に2人の選手がいる。
ひとりは、前向きで向上心も高い。
もうひとりは、卑屈で、愚痴っぽく悲観的だ。
もし、自分が優秀なコーチならば、
どちらの選手に可能性を見出し機会を与えるだろうか。
そして、このふたりの10年後を想像してみたとき、
ふたりの立場の違いは、どれくらいだろうか。
この結果を、運の良し悪しでいうならば、
運の悪さは、与えられるものではないことがわかる。
自分と周囲の環境との関係には、
常に、こういった場面があると想像してみる。
「その人が偉大かどうかは、
その人よりも下の人に対する態度でわかる」
「人間の価値(altitude)は、
才能(aptitude)ではなく、姿勢(atitude)だ」
偉業を成し遂げた偉人たちの言葉は、
姿勢の大切さを語り、そして的を得ている。
姿勢は、信念をも強くする。
「物事を成し遂げるのは、
知識の深さではなく、信念の深さだ」
運を引き寄せる姿勢を生み出す方法がある。
「ねばならない」を「できる」に言い換えてみることだ。
「仕事にいかなければならない」は、
「仕事に行くことができる」と言い換えてみる。
仕事をしたくても出来ない人たちもいる。
感謝と喜びで仕事に取り組む姿勢はどうだろうか。
「家族サービスしなければならない」は、
「家族サービスすることができる」と言い換えてみる。
今、それができることに感謝する姿勢。
こうした姿勢の連続や積み重ねが、
何を生み出してくれるかを想像するのは容易い。
「ねばならない」改め、「できる」。
「できる」ことに感謝。
それでは!
13:20:17 -
Mikamos -
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◆心の洗濯
2008-12-23
自然は、完全に調和された状態にある。
そして、その調和が乱されたときメッセージを与える。
そのメッセージの受け止め方によって、
状況は、より深刻にもなるし、さらによい方向へも進む。
自然と触れ合う機会を持つすばらしさは、
そういった調和の中にあることを自覚できること。
自然との一体感を感じることは、
与えられるメッセージの感度を高めてくれる。
まるで、すべてをコントロールしているかのようであっても、
ほんのわずかな調和の乱れによって崩れ去る。
自然の脅威とか、猛威とか表現されるが、
そもそものきっかけは、小さいものだったかもしれない。
そのときに与えれていたメッセージを無視し続けることは、
さらに大きな「気付き」となって返ってくることを意味する。
たとえば、人間の身体もまた、自然そのものだ。
科学の進歩も命を作り出すことはできない。
タバコを吸えばガンになる。
ガンを取り除いても、タバコを辞めなければ同じ。
ラーメン、ジャンクフード、加工食品・・。
体内に過剰な塩分が入り込む。
細胞は、浸透圧によって破壊されることを防ぐために、
脂肪によって包み込んで保護しようとする。
そして、脂肪が増えて肥満体になる。
血管にも脂肪がたまり、成人病を引き起こす。
すべては、「調和」を保つための防御反応だとしたら、
この対策は、塩分を控えて、水分を取ることだけだ。
その「脂肪が増える」というメッセージの解釈を、
怠れば、いずれは後悔しなければならないときがくる。
何か不調和を感じたなら、そのメッセージに耳を傾ける。
心を傾けると表現した方が、よいかもしれない。
慌しい日常の中では、失いかけてしまう落ち着き。
心で感じるよりも、頭で考えることが中心の生活。
メッセージの感度を磨けば、物事はうまく行く。
それでは!
07:58:35 -
Mikamos -
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◆神は、細部に宿る
2008-12-18
どこかに、いい加減さや煩雑さがを残すと、
すべてにおいて、精彩を欠いていく。
これくらいならば、影響はないだろう。
そう感じて、ちょっとした部分の詰めを甘くする。
いつしか、その小さなほころびは広がり、
やがて、全体の完成度にまで影響を与える。
逆に、細部にへの思い入れを持ってすれば、
にじみ出る様な完成度を醸し出す。
それは、部分の繋がりがあって、
全体が出来上がるようなもの。
その行動や作品の表情を作り出す。
人は、第一印象や、その表情を感じ取って、
一瞬にして、自分の価値観と照らし合わせる。
それを感じ取るのは、「全体」の雰囲気だ。
目だけでも、声だけでも、容姿だけでもない。
ある目的を持った行動においても、
その「全体」を作る細部へのこだわりが重要だ。
その人全体の雰囲気を作り出しているのが、
部分の関連性の結果であるのと同じように。
大切な結果を求めたいならば、
それに関連する部分も、大切にしなければならない。
「神は、細部に宿る」
こう表現した芸術家がいる。
ここでいう「神」とは、
エネルギーだと解釈している。
それは、何かを引き寄せるエネルギーや、
人を感動させるエネルギーなどで目には見えない。
いい加減さや、煩雑さは、
そういったエネルギーを拡散させる。
逆に、丁寧さや細部への注意深さは、
エネルギーを、ある方向へと集中させる。
それが、「できるイメージ」を生み出す。
いい加減さが顔を覗かせたら、
神を遠ざけているという危険信号だ。
一旦、大きく深呼吸をしてリラックスし、
丁寧さを心がけて再度、トライしてみよう。
神が宿る瞬間が、そこにはある。
それでは!
09:40:08 -
Mikamos -
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◆練習を始めよう
2008-12-16
ある結果を目指して、練習をする。
地道なトレーニングの連続や積み上げは、
確実にスキルレベルを上げてくれる。
そして、ある一定のレベルに到達したとき、
練習の定義に変化が訪れるときがある。
テクニカルスキルが、ある程度のレベルになったとき、
練習の目的は、メンタリティの強化に変わる。
本番で、100%の自分を表現できれば、
確実であるにもかかわらず、それができない。
そこに立ちふさがるのは、もはや技術の壁ではない。
不安や恐れなどのメンタリティの壁。
そのメンタリティが、確実に成否を分ける。
メンタリティを確固たるモノにするための練習。
それは、失敗しないための練習ではない。
失敗しないための練習は、
失敗するイメージを自分自身に植え付ける。
それは、高い確率で失敗のイメージを
実現させてしまうことに繋がってしまう。
しかしながら、自信を積み上げるための練習が、
どれほど、困難なことであるか。
トップだからこその苦悩。
トップアスリートたちの苦悩をそこに見ることができる。
また一方で、我々はその姿に感動を与えられる。
情熱や熱意がもたらす感動は、純粋な精神エネルギーだ。
そのエネルギーは、おろそかにしがちな、
練習やトレーニングへの情熱を掻き立ててくれる。
どこかで、誰かがまた練習を始める。
そして、その練習の定義が変わり、また感動を与える。
このエネルギーのサイクルは、
どこかで、すばらしい感動の連鎖を作り出す。
それができるのは、トップアスリートだけではない。
目の前にいる人ひとりに感動を与えれば十分だ。
さあ、今日も、また練習を始めよう。
それでは!
09:39:00 -
Mikamos -
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◆自分から漕ぎ始める
2008-12-11
成功とは、プロセスであるという。
ある結果を導き出したプロセスがあってこそ、
あらゆる成功というもの成り立っている。
そして、失敗とは、そのプロセスを見直すためのサインだ。
人間の本質は、不完全性にある。
100%完璧な人間など存在しない。
つまり、はじめから完璧なプロセスを描き、
漏れなく実行できる人など、この世には存在しない。
だから、失敗というプロセスを見直す工程なくして、
成功はありえないということができる。
人が失敗を毛嫌いする要因のひとつは、
「他人の目」や「他人の評価」にある。
「失敗」の烙印を、他人に押されることを嫌う。
しかし、実は「失敗」を定義できるのは、自分だけだ。
「プロセス見直しのサイン」があった。
自分がこう定義するならば、他人の評価は関係ない。
なぜならば、「目指しているものが違う」からだ。
本当に目指していることは、他人には判らない。
幕末の志士、龍馬は、他人の見方にこう応えた。
「世の人は我を何とぞ言わば言え 我がなす事は我のみぞ知る」
たとえば、現状維持を第一義としている人にとって、
たとえ一時的であるとはいえ、現状の変化は失敗と見える。
現状の変化に対するリスクの考え方も人それぞれだ。
ジョン・F・ケネディ大統領は、こういった。
「行動するには、リスクもコストもかかる。
しかし、現状に満足して何もしないことにかかる、
長期的なリスクとコストに比べたら、わずかなものだ」
そして、アール・ナイチンゲールはこういう。
「人は、やったことよりも、やらなかったことを後悔する」
都合のいい風が吹くのを待ち続けるのはやめよう。
まずは、自分から漕ぎ始めることだ。
それでは!
09:20:00 -
Mikamos -
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◆一仕事(ひとしごと)
2008-12-09
待つことは、苦手。
現代人は、行列をなすことは平気とはいえ、
基本的には、待つことが苦手といえる。
行列に並び、待つことができる理由は、
その結果を手に出来ることが明確であるため。
いつそれを、どんな形で手に出来るのか判らない。
そうした漠然とした期待に待つことはできない。
移動手段や、伝達手段の発達によって、
時間という感覚に対して麻痺している傾向がある。
卵からヒヨコが孵るまでには、21日間かかる。
これと同じように、必要な時間というものがある。
ひとつのことを成し遂げるには、
10年という歳月が必要だという。
10年間、変わらぬ情熱や熱意を抱き続けること。
それが、成功の秘訣であり、黄金律だ。
今、世に出ている「天才」達の経歴を見てみる。
ある程度の結果や実績が伴うまでに、
ほぼ10年という時間を要していることが判る。
時間の流れは、昔から変わっていない。
変わっているのは、人間のスタイルであり考え方だ。
たとえば、情報や知識を得ることが早ければ、
その習得も早いと感じるのは幻想だ。
経験が、本当の意味での知恵となる。
異なる経験が、別の経験への繋がりを作っていく。
必要な経験を積み重ねることには時間が必要だ。
焦る必要は、全くない。
必要な経験をしていることが確認できればいい。
あとは、情熱を抱き続けること。
それを、燃料にして経験を積み上げていく。
10年、一仕事。
そんなに待てないと思いながら何もしなくても、
10年後は、必ずやってくる。
10年前に始めていたら、今どうなっているか。
そう想像してみると、いやでも理解できる。
焦らず、待とう。
それでは!
12:10:54 -
Mikamos -
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◆競争の使い方
2008-12-04
どこかに目的地に向かうとき、地図を見る。
地図は、確実に目的地までのルートを示してくれる。
しかし、これはある絶対的な条件の上に成り立っている。
地図を役立てるために絶対的に必要なこと。
それは、「自分の現在地が明確」であること。
そして、ほとんどの人は、地図を見るときの、
それを明確にする必要性を十分に認識している。
では、スキルやノウハウの習得ではどうだろう。
自分の現在地を判っているようで、判っていない。
思い込みはあっても、正確ではない。
「こうすれば、うまくいくはずだ。これが必要だ」
そして、道に迷って混乱してしまう。
自分の現在地を確認するための情報として、
「競争・競技の結果」がある。
試験、査定、大会、試合、etc。
その結果の受け止め方を見直してみる。
ただ、他人に勝つことだけに、
優位に立つことだけに着目していないだろうか。
正しい「競争の使い方」は、
自分の現在地を確認するために使うこと。
他人に対する自尊心を満たす手段ではない。
他人との競争において、永遠に満足は訪れない。
他人と競争する先に、幸せや成功はないのだ。
勝負の勝ち負けという観点だけではなく、
自分の位置を把握するための手段という観点。
現在地が、判れば目的地までのルートが見える。
あとは、そのルート上で確実に歩を進めるだけだ。
それでは!
16:09:06 -
Mikamos -
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◆アートにする
2008-12-02
コンピューターは、人を反復作業から解放し、
インターネットは、距離という垣根を崩した。
グローバルな活動の幅は広がり、
今や総務や経理業務ですら海外にアウトソースできる。
ニ極化が進行するひとつの要因は、
オリジナリティと凡庸との差にある。
オリジナリティ溢れる希少価値の高い活動には、
計り知れないほどの価値がもたらされる。
一方、一般的な考えや凡庸な活動は、
コンピューターや海外ソースに取って代わられる。
「一般的である」ことが美徳とされた時代は、
もはや過去のものとなりつつある。
オリジナリティを生み出すアイデア、
そして、そういったコンセプトが求められる時代。
偏差値よりも、感性や芸術など文化的要素が、
ほんとうの意味での生きる力を発揮してくれる時代。
アイデアとは、特許や芸術の分野に限った話ではない。
どんな仕事であれ、どんな活動であれ、
誰にでも、それを「芸術的に」することはできる。
その芸術的感性を発揮できる人、
その芸術性に価値を見出せる人こそ強い。
他人の価値観や判断に振り回される必要はない。
自分のアイデアで、「活動をアートにする」ことはできる。
アイデアとは、経験というザルに、
様々な情報や知識を流し込んで、引っかかるもの。
そのためのアイデアを生み出す経験こそ資産だ。
考えを振り絞って出てくるものではない。
一見全く異なる事柄が、経験によって関連性を持ったとき、
アイデアとなって、形を作り出していく。
すべての活動をアートにしてみる。
そのための固定観念に囚われない経験や知識と情報。
そして何よりも、それを十分に楽しむことだ。
それでは!
13:41:50 -
Mikamos -
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