Archive for January of 2009

◆手段の意味


2009-01-29

欲しい結果を得るための方法や手段は、
想像以上にたくさんあることは知っているだろう。


その手段の中で、最も自分にとって適切な方法。
それを選択できるセンスを養うことが大切だ。


それは、他人の方法を単に真似るだけではダメで、
自分自身をより理解できているものだけが知りえる。


多くの人は、自分のことを知っているようで知らない。


自分を知るには、一番いい方法がある。
それは、他人からのフィードバックに焦点を当てること。


自分には何を期待され何を応えれば、
周りの人は、喜び感謝してくれるだろうか。


それに気付き、それを目的に出来れば強い。
あとは、自分にあった手段を選ぶだけだ。


ただ、ここでも人はミスを犯す場合がある。


いつまにか、手段が目的になってしまう。
そして、大きな目的、つまりビジョンを見失ってしまう。


たとえば、英語を習得することは手段だ。


目的は、英語で会話し価値を生み出すことなのに、
英語を話せるようになることで満足してしまう。


ITやそれに伴う仕組みは手段でしかないのに、
達成したい価値を忘れて仕組み作りが目的となってしまう。


健康やストレス解消のために始めたゴルフが、
スコアばかり気になり、ストレスとなっては本末転倒。


節約したいと、50円安いティシュを買うために、
バス代を100円余計に払ってまで出かけてはいけない。


目的とは、ビジョンだ。
どんなときでも、ビジョンを心に思い出すようにしよう。


「一日は時計に従い、一生はビジョンに従って生きる」


手段が目的となってしまっていることがあれば、
もう一度、ビジョンを思い描きなおしてみる。


何か行き詰っていることがあるなら、
新しい行動パターンを生み出せることだろう。


それでは!


17:04:26 - Mikamos - No comments

◆時流に乗る


2009-01-28

人間の精神が、スパイラルに向上していくのならば、
その人間が生きる社会も、また同じだ。


人類の社会は、混乱と繁栄を繰り返しながら、
その社会性や価値観を向上させてきた。


その結果として、飽食の時代となり、
使い捨ての文化があり、ある種のステータスとなった。


自分の身の丈や生活を省みることなく、
手に入れられるものは、できるだけ多くほしい。


そんな欲望やエゴによって発展してきたことは、
悲しいことだが、現実であることも否定できない。


それが本当に望んでいたことなのか?


今の社会情勢や経済状況に対して、
そう問いかけられているように感じる。


科学や宗教や経済などは相対化され、
いつしか圧倒的な権威を失った。


それは、どこかで拠り所としていた事柄が、
変わりつつあることを示している。


宇宙観。


化石エネルギーへの依存から脱却するための、
宇宙エネルギーの活用や研究。


物理学で証明された物質エネルギーと、
精神エネルギーの関係や測定。


利潤追求ではなく共存することが、
第一義として求められる社会の実現。


確実に人類社会は、スパイラルを上っている。


そういった時流を感じ取って、
それらに自分自身を重ね合わせること。


それが、「時流に乗る」ということだ。


昔、試合という競争の世界の考えの中でしか、
自然と係われなかった頃があった。


自然と向き合えることの意義を
感じ始めてからの方が得るものはずいぶんと増えた。


宇宙観を養うために自然の中に立つ。


それは、まさに「時流に乗っている」と、
いえることではないだろうか。


それでは!


18:08:38 - Mikamos - No comments

◆処世術


2009-01-22


「いつも、考えていますか?」という質問に、
今の自分は、どう応えるだろうか。


おそらく、多くの人は「はい」と応えるだろう。
それは、嘘ではないし、間違いでもない。


ただ、その「考えている」深さや広さは、
人によって、様々であることは当然のこと。


「考える」ということは、想像以上に体力や精神力を使う。
だから、人は、なるべく考えないで事を成したいと思う。


新しいビジネスモデルを考えることよりも、
すでにあるモデルを真似る方が早いし楽だ。


新しい営業先を開拓することよりも、
既存の顧客の対応をしている方が早いし楽だ。


いわゆる、こうした安心領域を抜け出すことは、
リスクもあるし、決して楽で楽しいことではない。


ただ、間違いなくいえることは、
社会情勢や経済状況は、急速に変化しているということ。


わずか10数年前に昨今のような、
インターネットや携帯電話の普及が想像できただろうか。


終身雇用制の崩壊、停滞する経済状況。
銀行や証券会社が倒産することが想像できただろうか。


人間の価値観自体も変化している。


成果主義や価格競争の成れの果て。
その傾向として、今まで隠されていた膿が噴出している。


この変化の中にあって、どうして自分だけが、
過去の遺産の中で生きていくことが可能だといえるのか。


現状維持は、後退することを意味する。


後退を食い止める方法は、考えることしかない。
「考える」とは、新しい見方や考え方を身に付けること。


たとえ、多くの情報を得たとしても、
新しい考え方でなければ、得るものは少ない。


確実に失敗するための方法が2つあるという。


ひとつは、考えないで、行動すること。
もうひとつは、考えても、行動しないこと。


新しい考え方を培う。


そのための学習や経験。
それが、現代サバイバルの処世術といえるだろう。


それでは!


11:22:40 - Mikamos - No comments

◆定点観測


2009-01-20

強いものは、常にシンプルだ。


複雑であればあるほど、様々な接点も増える。
そして、接点は、故障やトラブルを引き起こす要因となる。


単純で、しっかりと作られたものは、
接点が少ないが故に、故障も少なく強い。


この考え方は、モノにだけではなく、
活動においても適用出来る考え方だ。


何か、大きな事や大きな成果を引き出すには、
何か特別なことや難しいことが必要ではないかと考える。


しかし、実際にはそんなことはない。
単純でシンプルな活動から得られるものは大きい。


そして、シンプルな活動の強さを知っている人も、
また、成果を導き出す強い力を持っている。


何かすごい結果を出す秘訣やテクニック。
誰にもマネができないようなスキル。


何かあるのではないかと探し続けることは、
海の上で、目的が定まらず漂流姿に近い。


目的を定めたら、オールをまわすだけ。
その活動が、目的に確実に近づけてくれる。


本当に成功する人は、誰にでもできることを確実にやる。
そして、成功できない人は、誰にもできないことをやろうとする。


たとえば、定点観測。
ただ、同じポイントで測定を続けるのみ。


しかし、このデータの積み重ねは、
想像以上の価値と成果をもたらしてくれる。


今どうなのか、過去どうであったかだけではなく、
未来を予測するための知恵をも与えてくれる。


長い期間の定点観測と活動の結果を重ね合わせ、
そこから導きだされる知恵は、簡単にはマネはできない。


たとえ、同じ活動をしていたとしても、
裏づけが異なる活動は、必ず結果にも現れてくる。


シンプルさは、力だ。


特別な何かを探し出そうとする前に、
今すでにある、シンプルな方法に目を向けよう。


継続も、また力なのだから。


それでは!


10:50:30 - Mikamos - No comments

◆らせん


2009-01-15

同じ地球上にいながら、
そして、同じ時を過ごしながら違う場所にいる。


「類は、友を呼ぶ」


この言葉は、その状態を、
簡潔に、かつ的確に表現したものであろう。


人間の社会には、年齢の違いや、
仕事の違い、地位役職の違いなど、様々な「違い」がある。


そして、その「違い」に優越感を感じたり、
そして、時に劣等感を感じたりすることもあるだろう。


しかし、人間の本質を語る場合に、
それらの「違い」は、決して「違い」ではない。


精神レベルという概念がある。


人を憎んでいたり、悪事を働こうとする精神レベルと、
いつも明るく、すべてに優しい人の精神レベルは違う。


それは、お金のあるなしや地位のあるなしは関係なく、
その同じ精神レベルを持った人同士は引き付けあう。


これが、「類は友を呼ぶ」の本質だ。


他人の失敗を望んだり、足を引っ張ろうとする人がいる。
他人の悪口ばかりいったり、愚痴ばかり話す人がいる。


自分の精神レベルは、同等だろうか。


そうではないならば、同じレベルに降りていく必要はない。
黙って席を外せばいいし、相手にする必要もない。


もし、自分の周りにそういった人たちが集まる傾向があるなら、
自分の状態が良くない状態であることのメッセージだ。


まずやることは、笑顔を取り戻すこと。
明るく、前向きに、感謝の気持ちを思い出すこと。


そして、まず一番身近な人たちとの接し方を見直してみる。


家族や恋人を、冷たくあしらってはいないか。
「挨拶」や「ありがとう」という言葉を忘れてはいないか。


精神レベルの螺旋(らせん)階段を登っていくと、
その段階ごとに出会う人も変わってくるという。


人生の目的は、その螺旋階段を1段でも上に登ること。
そのための気付きを得るためのイベントが逆境であり苦悩だ。


誇るべきは、持っているお金の量や、
人間によって作られた地位や名誉ではない。


誇るべきは、自分の精神レベル。


誰も見ていないところでの振る舞い。
人知れず表す感謝の気持ち。


そうしたことに幸せを感じることができるならば、
もはや怖いものなど何もないといえるだろう。


それでは!


13:49:39 - Mikamos - No comments

◆ポジティブシャワー


2009-01-13

したいことを訊いても、あまり出てこないのに、
やりたくないことだと、雪崩のように出てくる。


テレビや新聞で報道されるニュースも、
ネガティブなほど、視聴率は高まる傾向にある。


そして、普通に生活していると、
ネガティブな要素が頭の中を占領してしまう。


これは、悲しいことだが、
ほとんどの人にとって、現実だろう。


リーダーはチームの力を最大限に発揮するために、
士気を高めるためのメッセージをメンバーに送る。


そのメッセージが響くもの、響かないもの。
響いて行動に移すもの、行動しないもの。


その反応も様々だろう。


その反応を受け取ったとき、
やはり、ネガティブな部分にフォーカスしてしまう。


「どうして、あいつはわかってくれないのか」


そのことが説得や圧力となって、
お互いにストレスに感じ始めていくことになる。


しかし、そこでネガティブな事象に、
フォーカスすることは、得策ではない。


5人の中に1人、メッセージが響いた人がいれば、
何よりも、まず始めに、その1人に着目する。


4人を説得するエネルギーを、
1人のエネルギーを高めることに費やす。


強靭なポジティブなエネルギーは、
ネガティブなエネルギーを駆逐していく。


やがて、その1人が他を引っ張り挙げようとする。
今まで1人だったのが2人になり、やがて3人になる。


自分や組織に弱みを見つけると、
それをどうにかしようと躍起になって取り組む。


そのエネルギーを強みに費やしてみる。
やがて、強みが弱みを包み込んでしまうだろう。


もし、自分に不得意な部分があるならば、
まずは、得意な部分の強化に努めてみる。


それを行うことで、困難だった弱みの克服も、
いつの間にか出来てしまっていたりする。


強みを高めようとするポジティブなエネルギーは、
同時に、それ以外の部分の成長も促してくれる。


どんなときであっても、
ポジティブのシャワーを浴びるようにしよう。


それでは!


13:49:00 - Mikamos - No comments

◆失敗できる喜び


2009-01-08

失敗に、感謝すべきこと。
これは、きれいごとでもなんでもない。


失敗することができるということは、
その「失敗をできるレベルにある」ということ。


今の自分で、失敗できるレベルは、
自分の枠の範囲の失敗にすぎないのだ。


つまり、自分ではどうにもならない失敗は、
「失敗しようと思っても出来ない」ということができる。


1万人の大衆の前で、演説を失敗しようと思っても、
そんな場すら与えられないから失敗することが出来ない。


間違って国を破壊するミサイルのスイッチを
押してしまおうとしても、そんな機会は与えられない。


そう考えたとき、二つの解釈ができる。


ひとつは、自分の犯す失敗は、
所詮、自分の背丈に満たない失敗である。


そして、もうひとつは、
大きな失敗ができるという事は、成長の証である。


もしも、大勢の前で話す機会が与えられたなら、
失敗する不安を抱くよりも、感謝した方がいい。


自分が、そんな失敗をできる舞台に立てること、
そのレベルまで成長した自分を褒め楽しむことだ。


心配することは、何の役にも立たない。
心配は、少しも明日の悲しみを減らしてはくれない。


100%完璧な人間など存在しない。
不完全さこそが人間の良さであり、奥深さだ。


10回打席に立って3回成功すれば、
それだけで首位打者になることができる。


7回失敗することを心配することよりも、
むしろ大舞台に立てることを喜び、そして十分に楽しもう。


失敗は、人を成長させる。
その成長は、人間性を高め奥深さを与えてくれる。


人にとっては、どんなゴールに到達したかではなく、
それによって、どんな人になったかが重要なのだから。


それでは!


13:46:00 - Mikamos - No comments

◆大樹の種


2009-01-06

どんな状況であれ、どんな結果であれ、
それを価値あるものにすることはできる。


そのとき、他人の評価には意味はない。


その忠告を心で受け止めたとき、
自分自身がどう感じ、そして気付きがあるかどうか。


不可能を可能としてきた人たちは、
その過去の歴史の中で、例外なくいつもそうしてきた。


自分に必要なものだけを、
素直に受け入れ、積極的に取り組んできた。


状況をどういった視点で、どう判断するか。
その選択は、まったくの自由で制限はない。


靴のセールスマンとして派遣されたところが、
誰一人として靴を履いていないような場所だとしたら。


果たして、自分は災難だと感じるだろうか、
それとも、絶好のチャンスとみるだろうか。


この小さな感じ方の違いは、可能性を秘めている。
歴史を変える種となるか、愚痴の種で終わるのか。


自分は、いつもどんな種を植えているか。


前向きで、情熱を抱いた小さな種は、
不可能を可能にする力を秘めている。


しかし、その小さな種を育てていく環境は、
いつも、決して恵まれているわけではない。


困難に援助の手がないこともあるだろう。
悪意のない忠告が、影を作ることもある。


忍耐を必要とすることや失望を感じること、
屈辱を与えられることもあるだろう。


迷ったときは、その種を心に戻してみるといい。
まっすぐにその種だけを見つめなおしてみる。


それでも、その種を育てたいと感じたならば、
もうそれ以上に、迷う必要はないはずだ。


その種が、芽を出し始める日はそう遠くない。


その芽が大樹に育ったとき、
周囲の無関心だった人たちは、こう言うだろう。


「運がよかっただけだろう」
「自分にもチャンスがあれば出来たはずだ」


そして、こう質問する。
「それが出来た秘訣は何ですか?」


答えは、「種を植えた」だけ。


しかし、その答えに納得はしてくれない。
「本当の秘訣を隠しているに違いない」


真実は、いつもシンプルだ。
麦の種から、トウモロコシは作れない。


大樹に育つ種を植える人になるのか。
その大樹を見て、ただ質問する人になるのか。


今日、それを選択することができる。


それでは!


10:11:00 - Mikamos - No comments

◆メッセージを聞き分ける


2009-01-01


他人の意見は、聞くべきか聞かないべきか。


自分の道を進むべし。
いや、そこは謙虚になるべし。


この二つの考え方は、どちらとも正しい。


他人から発せられるメッセージには、
二つの種類があると思っておく。


忠告のメッセージと見極めのメッセージ。


何かを気付かせるために発せられる、
忠告のメッセージは、プラスに向かうメッセージだ。


そのメッセージを謙虚に受け止めて、
そこにある「気付き」を得ることで成長できる。


逆に、見極めのメッセージは、
自分を試すためのメッセージだと思えばいい。


本当に、それを実行する資格を兼ね備えているか、
その情熱や熱意は、本物であるのかが見極められる。


そのメッセージには、ある枠に連れ戻す役割がある。
本当にそれに向かうべきかを試されている。


「起業すれば、97%は失敗するよ」
「転職で、成功する割合は、・・・」


今の枠に連れ戻そうとするメッセージを、
忠告と受け取るのか、見極めと受け取るのか。


それは、その人それぞれによって違う。
また、それによって行動は180度変わってくる。


そのメッセージが忠告なのか、見極めなのか。
それを判断するには、心に訊いてみるしかない。


腑に落ちる解釈は、どちらか。


それを、自分自身で確認してみるといい。
必ず、どちらかの解釈で腑に落ちるはずだ。


ただ、どちらにしてもいえることは、
いずれの解釈も、「自分のため」ということだ。


忠告を無視して、痛い思いをするのは自分。
また、見極めに屈して、諦めてしまうのも自分。


自分自身に対してどう解釈するべきか。
その解釈に他人の評価は意味をなさない。


メッセージを聞き分ける。
その行為に自信と謙虚さを持っていたい。


それでは!





20:41:48 - Mikamos - No comments