Archive for January of 2009
◆手段の意味
2009-01-29
欲しい結果を得るための方法や手段は、
想像以上にたくさんあることは知っているだろう。
その手段の中で、最も自分にとって適切な方法。
それを選択できるセンスを養うことが大切だ。
それは、他人の方法を単に真似るだけではダメで、
自分自身をより理解できているものだけが知りえる。
多くの人は、自分のことを知っているようで知らない。
自分を知るには、一番いい方法がある。
それは、他人からのフィードバックに焦点を当てること。
自分には何を期待され何を応えれば、
周りの人は、喜び感謝してくれるだろうか。
それに気付き、それを目的に出来れば強い。
あとは、自分にあった手段を選ぶだけだ。
ただ、ここでも人はミスを犯す場合がある。
いつまにか、手段が目的になってしまう。
そして、大きな目的、つまりビジョンを見失ってしまう。
たとえば、英語を習得することは手段だ。
目的は、英語で会話し価値を生み出すことなのに、
英語を話せるようになることで満足してしまう。
ITやそれに伴う仕組みは手段でしかないのに、
達成したい価値を忘れて仕組み作りが目的となってしまう。
健康やストレス解消のために始めたゴルフが、
スコアばかり気になり、ストレスとなっては本末転倒。
節約したいと、50円安いティシュを買うために、
バス代を100円余計に払ってまで出かけてはいけない。
目的とは、ビジョンだ。
どんなときでも、ビジョンを心に思い出すようにしよう。
「一日は時計に従い、一生はビジョンに従って生きる」
手段が目的となってしまっていることがあれば、
もう一度、ビジョンを思い描きなおしてみる。
何か行き詰っていることがあるなら、
新しい行動パターンを生み出せることだろう。
それでは!
想像以上にたくさんあることは知っているだろう。
その手段の中で、最も自分にとって適切な方法。
それを選択できるセンスを養うことが大切だ。
それは、他人の方法を単に真似るだけではダメで、
自分自身をより理解できているものだけが知りえる。
多くの人は、自分のことを知っているようで知らない。
自分を知るには、一番いい方法がある。
それは、他人からのフィードバックに焦点を当てること。
自分には何を期待され何を応えれば、
周りの人は、喜び感謝してくれるだろうか。
それに気付き、それを目的に出来れば強い。
あとは、自分にあった手段を選ぶだけだ。
ただ、ここでも人はミスを犯す場合がある。
いつまにか、手段が目的になってしまう。
そして、大きな目的、つまりビジョンを見失ってしまう。
たとえば、英語を習得することは手段だ。
目的は、英語で会話し価値を生み出すことなのに、
英語を話せるようになることで満足してしまう。
ITやそれに伴う仕組みは手段でしかないのに、
達成したい価値を忘れて仕組み作りが目的となってしまう。
健康やストレス解消のために始めたゴルフが、
スコアばかり気になり、ストレスとなっては本末転倒。
節約したいと、50円安いティシュを買うために、
バス代を100円余計に払ってまで出かけてはいけない。
目的とは、ビジョンだ。
どんなときでも、ビジョンを心に思い出すようにしよう。
「一日は時計に従い、一生はビジョンに従って生きる」
手段が目的となってしまっていることがあれば、
もう一度、ビジョンを思い描きなおしてみる。
何か行き詰っていることがあるなら、
新しい行動パターンを生み出せることだろう。
それでは!
17:04:26 -
Mikamos -
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◆時流に乗る
2009-01-28
人間の精神が、スパイラルに向上していくのならば、
その人間が生きる社会も、また同じだ。
人類の社会は、混乱と繁栄を繰り返しながら、
その社会性や価値観を向上させてきた。
その結果として、飽食の時代となり、
使い捨ての文化があり、ある種のステータスとなった。
自分の身の丈や生活を省みることなく、
手に入れられるものは、できるだけ多くほしい。
そんな欲望やエゴによって発展してきたことは、
悲しいことだが、現実であることも否定できない。
それが本当に望んでいたことなのか?
今の社会情勢や経済状況に対して、
そう問いかけられているように感じる。
科学や宗教や経済などは相対化され、
いつしか圧倒的な権威を失った。
それは、どこかで拠り所としていた事柄が、
変わりつつあることを示している。
宇宙観。
化石エネルギーへの依存から脱却するための、
宇宙エネルギーの活用や研究。
物理学で証明された物質エネルギーと、
精神エネルギーの関係や測定。
利潤追求ではなく共存することが、
第一義として求められる社会の実現。
確実に人類社会は、スパイラルを上っている。
そういった時流を感じ取って、
それらに自分自身を重ね合わせること。
それが、「時流に乗る」ということだ。
昔、試合という競争の世界の考えの中でしか、
自然と係われなかった頃があった。
自然と向き合えることの意義を
感じ始めてからの方が得るものはずいぶんと増えた。
宇宙観を養うために自然の中に立つ。
それは、まさに「時流に乗っている」と、
いえることではないだろうか。
それでは!
その人間が生きる社会も、また同じだ。
人類の社会は、混乱と繁栄を繰り返しながら、
その社会性や価値観を向上させてきた。
その結果として、飽食の時代となり、
使い捨ての文化があり、ある種のステータスとなった。
自分の身の丈や生活を省みることなく、
手に入れられるものは、できるだけ多くほしい。
そんな欲望やエゴによって発展してきたことは、
悲しいことだが、現実であることも否定できない。
それが本当に望んでいたことなのか?
今の社会情勢や経済状況に対して、
そう問いかけられているように感じる。
科学や宗教や経済などは相対化され、
いつしか圧倒的な権威を失った。
それは、どこかで拠り所としていた事柄が、
変わりつつあることを示している。
宇宙観。
化石エネルギーへの依存から脱却するための、
宇宙エネルギーの活用や研究。
物理学で証明された物質エネルギーと、
精神エネルギーの関係や測定。
利潤追求ではなく共存することが、
第一義として求められる社会の実現。
確実に人類社会は、スパイラルを上っている。
そういった時流を感じ取って、
それらに自分自身を重ね合わせること。
それが、「時流に乗る」ということだ。
昔、試合という競争の世界の考えの中でしか、
自然と係われなかった頃があった。
自然と向き合えることの意義を
感じ始めてからの方が得るものはずいぶんと増えた。
宇宙観を養うために自然の中に立つ。
それは、まさに「時流に乗っている」と、
いえることではないだろうか。
それでは!
18:08:38 -
Mikamos -
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◆処世術
2009-01-22
「いつも、考えていますか?」という質問に、
今の自分は、どう応えるだろうか。
おそらく、多くの人は「はい」と応えるだろう。
それは、嘘ではないし、間違いでもない。
ただ、その「考えている」深さや広さは、
人によって、様々であることは当然のこと。
「考える」ということは、想像以上に体力や精神力を使う。
だから、人は、なるべく考えないで事を成したいと思う。
新しいビジネスモデルを考えることよりも、
すでにあるモデルを真似る方が早いし楽だ。
新しい営業先を開拓することよりも、
既存の顧客の対応をしている方が早いし楽だ。
いわゆる、こうした安心領域を抜け出すことは、
リスクもあるし、決して楽で楽しいことではない。
ただ、間違いなくいえることは、
社会情勢や経済状況は、急速に変化しているということ。
わずか10数年前に昨今のような、
インターネットや携帯電話の普及が想像できただろうか。
終身雇用制の崩壊、停滞する経済状況。
銀行や証券会社が倒産することが想像できただろうか。
人間の価値観自体も変化している。
成果主義や価格競争の成れの果て。
その傾向として、今まで隠されていた膿が噴出している。
この変化の中にあって、どうして自分だけが、
過去の遺産の中で生きていくことが可能だといえるのか。
現状維持は、後退することを意味する。
後退を食い止める方法は、考えることしかない。
「考える」とは、新しい見方や考え方を身に付けること。
たとえ、多くの情報を得たとしても、
新しい考え方でなければ、得るものは少ない。
確実に失敗するための方法が2つあるという。
ひとつは、考えないで、行動すること。
もうひとつは、考えても、行動しないこと。
新しい考え方を培う。
そのための学習や経験。
それが、現代サバイバルの処世術といえるだろう。
それでは!
11:22:40 -
Mikamos -
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◆定点観測
2009-01-20
強いものは、常にシンプルだ。
複雑であればあるほど、様々な接点も増える。
そして、接点は、故障やトラブルを引き起こす要因となる。
単純で、しっかりと作られたものは、
接点が少ないが故に、故障も少なく強い。
この考え方は、モノにだけではなく、
活動においても適用出来る考え方だ。
何か、大きな事や大きな成果を引き出すには、
何か特別なことや難しいことが必要ではないかと考える。
しかし、実際にはそんなことはない。
単純でシンプルな活動から得られるものは大きい。
そして、シンプルな活動の強さを知っている人も、
また、成果を導き出す強い力を持っている。
何かすごい結果を出す秘訣やテクニック。
誰にもマネができないようなスキル。
何かあるのではないかと探し続けることは、
海の上で、目的が定まらず漂流姿に近い。
目的を定めたら、オールをまわすだけ。
その活動が、目的に確実に近づけてくれる。
本当に成功する人は、誰にでもできることを確実にやる。
そして、成功できない人は、誰にもできないことをやろうとする。
たとえば、定点観測。
ただ、同じポイントで測定を続けるのみ。
しかし、このデータの積み重ねは、
想像以上の価値と成果をもたらしてくれる。
今どうなのか、過去どうであったかだけではなく、
未来を予測するための知恵をも与えてくれる。
長い期間の定点観測と活動の結果を重ね合わせ、
そこから導きだされる知恵は、簡単にはマネはできない。
たとえ、同じ活動をしていたとしても、
裏づけが異なる活動は、必ず結果にも現れてくる。
シンプルさは、力だ。
特別な何かを探し出そうとする前に、
今すでにある、シンプルな方法に目を向けよう。
継続も、また力なのだから。
それでは!
複雑であればあるほど、様々な接点も増える。
そして、接点は、故障やトラブルを引き起こす要因となる。
単純で、しっかりと作られたものは、
接点が少ないが故に、故障も少なく強い。
この考え方は、モノにだけではなく、
活動においても適用出来る考え方だ。
何か、大きな事や大きな成果を引き出すには、
何か特別なことや難しいことが必要ではないかと考える。
しかし、実際にはそんなことはない。
単純でシンプルな活動から得られるものは大きい。
そして、シンプルな活動の強さを知っている人も、
また、成果を導き出す強い力を持っている。
何かすごい結果を出す秘訣やテクニック。
誰にもマネができないようなスキル。
何かあるのではないかと探し続けることは、
海の上で、目的が定まらず漂流姿に近い。
目的を定めたら、オールをまわすだけ。
その活動が、目的に確実に近づけてくれる。
本当に成功する人は、誰にでもできることを確実にやる。
そして、成功できない人は、誰にもできないことをやろうとする。
たとえば、定点観測。
ただ、同じポイントで測定を続けるのみ。
しかし、このデータの積み重ねは、
想像以上の価値と成果をもたらしてくれる。
今どうなのか、過去どうであったかだけではなく、
未来を予測するための知恵をも与えてくれる。
長い期間の定点観測と活動の結果を重ね合わせ、
そこから導きだされる知恵は、簡単にはマネはできない。
たとえ、同じ活動をしていたとしても、
裏づけが異なる活動は、必ず結果にも現れてくる。
シンプルさは、力だ。
特別な何かを探し出そうとする前に、
今すでにある、シンプルな方法に目を向けよう。
継続も、また力なのだから。
それでは!
10:50:30 -
Mikamos -
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◆らせん
2009-01-15
同じ地球上にいながら、
そして、同じ時を過ごしながら違う場所にいる。
「類は、友を呼ぶ」
この言葉は、その状態を、
簡潔に、かつ的確に表現したものであろう。
人間の社会には、年齢の違いや、
仕事の違い、地位役職の違いなど、様々な「違い」がある。
そして、その「違い」に優越感を感じたり、
そして、時に劣等感を感じたりすることもあるだろう。
しかし、人間の本質を語る場合に、
それらの「違い」は、決して「違い」ではない。
精神レベルという概念がある。
人を憎んでいたり、悪事を働こうとする精神レベルと、
いつも明るく、すべてに優しい人の精神レベルは違う。
それは、お金のあるなしや地位のあるなしは関係なく、
その同じ精神レベルを持った人同士は引き付けあう。
これが、「類は友を呼ぶ」の本質だ。
他人の失敗を望んだり、足を引っ張ろうとする人がいる。
他人の悪口ばかりいったり、愚痴ばかり話す人がいる。
自分の精神レベルは、同等だろうか。
そうではないならば、同じレベルに降りていく必要はない。
黙って席を外せばいいし、相手にする必要もない。
もし、自分の周りにそういった人たちが集まる傾向があるなら、
自分の状態が良くない状態であることのメッセージだ。
まずやることは、笑顔を取り戻すこと。
明るく、前向きに、感謝の気持ちを思い出すこと。
そして、まず一番身近な人たちとの接し方を見直してみる。
家族や恋人を、冷たくあしらってはいないか。
「挨拶」や「ありがとう」という言葉を忘れてはいないか。
精神レベルの螺旋(らせん)階段を登っていくと、
その段階ごとに出会う人も変わってくるという。
人生の目的は、その螺旋階段を1段でも上に登ること。
そのための気付きを得るためのイベントが逆境であり苦悩だ。
誇るべきは、持っているお金の量や、
人間によって作られた地位や名誉ではない。
誇るべきは、自分の精神レベル。
誰も見ていないところでの振る舞い。
人知れず表す感謝の気持ち。
そうしたことに幸せを感じることができるならば、
もはや怖いものなど何もないといえるだろう。
それでは!
そして、同じ時を過ごしながら違う場所にいる。
「類は、友を呼ぶ」
この言葉は、その状態を、
簡潔に、かつ的確に表現したものであろう。
人間の社会には、年齢の違いや、
仕事の違い、地位役職の違いなど、様々な「違い」がある。
そして、その「違い」に優越感を感じたり、
そして、時に劣等感を感じたりすることもあるだろう。
しかし、人間の本質を語る場合に、
それらの「違い」は、決して「違い」ではない。
精神レベルという概念がある。
人を憎んでいたり、悪事を働こうとする精神レベルと、
いつも明るく、すべてに優しい人の精神レベルは違う。
それは、お金のあるなしや地位のあるなしは関係なく、
その同じ精神レベルを持った人同士は引き付けあう。
これが、「類は友を呼ぶ」の本質だ。
他人の失敗を望んだり、足を引っ張ろうとする人がいる。
他人の悪口ばかりいったり、愚痴ばかり話す人がいる。
自分の精神レベルは、同等だろうか。
そうではないならば、同じレベルに降りていく必要はない。
黙って席を外せばいいし、相手にする必要もない。
もし、自分の周りにそういった人たちが集まる傾向があるなら、
自分の状態が良くない状態であることのメッセージだ。
まずやることは、笑顔を取り戻すこと。
明るく、前向きに、感謝の気持ちを思い出すこと。
そして、まず一番身近な人たちとの接し方を見直してみる。
家族や恋人を、冷たくあしらってはいないか。
「挨拶」や「ありがとう」という言葉を忘れてはいないか。
精神レベルの螺旋(らせん)階段を登っていくと、
その段階ごとに出会う人も変わってくるという。
人生の目的は、その螺旋階段を1段でも上に登ること。
そのための気付きを得るためのイベントが逆境であり苦悩だ。
誇るべきは、持っているお金の量や、
人間によって作られた地位や名誉ではない。
誇るべきは、自分の精神レベル。
誰も見ていないところでの振る舞い。
人知れず表す感謝の気持ち。
そうしたことに幸せを感じることができるならば、
もはや怖いものなど何もないといえるだろう。
それでは!
13:49:39 -
Mikamos -
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◆ポジティブシャワー
2009-01-13
したいことを訊いても、あまり出てこないのに、
やりたくないことだと、雪崩のように出てくる。
テレビや新聞で報道されるニュースも、
ネガティブなほど、視聴率は高まる傾向にある。
そして、普通に生活していると、
ネガティブな要素が頭の中を占領してしまう。
これは、悲しいことだが、
ほとんどの人にとって、現実だろう。
リーダーはチームの力を最大限に発揮するために、
士気を高めるためのメッセージをメンバーに送る。
そのメッセージが響くもの、響かないもの。
響いて行動に移すもの、行動しないもの。
その反応も様々だろう。
その反応を受け取ったとき、
やはり、ネガティブな部分にフォーカスしてしまう。
「どうして、あいつはわかってくれないのか」
そのことが説得や圧力となって、
お互いにストレスに感じ始めていくことになる。
しかし、そこでネガティブな事象に、
フォーカスすることは、得策ではない。
5人の中に1人、メッセージが響いた人がいれば、
何よりも、まず始めに、その1人に着目する。
4人を説得するエネルギーを、
1人のエネルギーを高めることに費やす。
強靭なポジティブなエネルギーは、
ネガティブなエネルギーを駆逐していく。
やがて、その1人が他を引っ張り挙げようとする。
今まで1人だったのが2人になり、やがて3人になる。
自分や組織に弱みを見つけると、
それをどうにかしようと躍起になって取り組む。
そのエネルギーを強みに費やしてみる。
やがて、強みが弱みを包み込んでしまうだろう。
もし、自分に不得意な部分があるならば、
まずは、得意な部分の強化に努めてみる。
それを行うことで、困難だった弱みの克服も、
いつの間にか出来てしまっていたりする。
強みを高めようとするポジティブなエネルギーは、
同時に、それ以外の部分の成長も促してくれる。
どんなときであっても、
ポジティブのシャワーを浴びるようにしよう。
それでは!
やりたくないことだと、雪崩のように出てくる。
テレビや新聞で報道されるニュースも、
ネガティブなほど、視聴率は高まる傾向にある。
そして、普通に生活していると、
ネガティブな要素が頭の中を占領してしまう。
これは、悲しいことだが、
ほとんどの人にとって、現実だろう。
リーダーはチームの力を最大限に発揮するために、
士気を高めるためのメッセージをメンバーに送る。
そのメッセージが響くもの、響かないもの。
響いて行動に移すもの、行動しないもの。
その反応も様々だろう。
その反応を受け取ったとき、
やはり、ネガティブな部分にフォーカスしてしまう。
「どうして、あいつはわかってくれないのか」
そのことが説得や圧力となって、
お互いにストレスに感じ始めていくことになる。
しかし、そこでネガティブな事象に、
フォーカスすることは、得策ではない。
5人の中に1人、メッセージが響いた人がいれば、
何よりも、まず始めに、その1人に着目する。
4人を説得するエネルギーを、
1人のエネルギーを高めることに費やす。
強靭なポジティブなエネルギーは、
ネガティブなエネルギーを駆逐していく。
やがて、その1人が他を引っ張り挙げようとする。
今まで1人だったのが2人になり、やがて3人になる。
自分や組織に弱みを見つけると、
それをどうにかしようと躍起になって取り組む。
そのエネルギーを強みに費やしてみる。
やがて、強みが弱みを包み込んでしまうだろう。
もし、自分に不得意な部分があるならば、
まずは、得意な部分の強化に努めてみる。
それを行うことで、困難だった弱みの克服も、
いつの間にか出来てしまっていたりする。
強みを高めようとするポジティブなエネルギーは、
同時に、それ以外の部分の成長も促してくれる。
どんなときであっても、
ポジティブのシャワーを浴びるようにしよう。
それでは!
13:49:00 -
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◆失敗できる喜び
2009-01-08
失敗に、感謝すべきこと。
これは、きれいごとでもなんでもない。
失敗することができるということは、
その「失敗をできるレベルにある」ということ。
今の自分で、失敗できるレベルは、
自分の枠の範囲の失敗にすぎないのだ。
つまり、自分ではどうにもならない失敗は、
「失敗しようと思っても出来ない」ということができる。
1万人の大衆の前で、演説を失敗しようと思っても、
そんな場すら与えられないから失敗することが出来ない。
間違って国を破壊するミサイルのスイッチを
押してしまおうとしても、そんな機会は与えられない。
そう考えたとき、二つの解釈ができる。
ひとつは、自分の犯す失敗は、
所詮、自分の背丈に満たない失敗である。
そして、もうひとつは、
大きな失敗ができるという事は、成長の証である。
もしも、大勢の前で話す機会が与えられたなら、
失敗する不安を抱くよりも、感謝した方がいい。
自分が、そんな失敗をできる舞台に立てること、
そのレベルまで成長した自分を褒め楽しむことだ。
心配することは、何の役にも立たない。
心配は、少しも明日の悲しみを減らしてはくれない。
100%完璧な人間など存在しない。
不完全さこそが人間の良さであり、奥深さだ。
10回打席に立って3回成功すれば、
それだけで首位打者になることができる。
7回失敗することを心配することよりも、
むしろ大舞台に立てることを喜び、そして十分に楽しもう。
失敗は、人を成長させる。
その成長は、人間性を高め奥深さを与えてくれる。
人にとっては、どんなゴールに到達したかではなく、
それによって、どんな人になったかが重要なのだから。
それでは!
これは、きれいごとでもなんでもない。
失敗することができるということは、
その「失敗をできるレベルにある」ということ。
今の自分で、失敗できるレベルは、
自分の枠の範囲の失敗にすぎないのだ。
つまり、自分ではどうにもならない失敗は、
「失敗しようと思っても出来ない」ということができる。
1万人の大衆の前で、演説を失敗しようと思っても、
そんな場すら与えられないから失敗することが出来ない。
間違って国を破壊するミサイルのスイッチを
押してしまおうとしても、そんな機会は与えられない。
そう考えたとき、二つの解釈ができる。
ひとつは、自分の犯す失敗は、
所詮、自分の背丈に満たない失敗である。
そして、もうひとつは、
大きな失敗ができるという事は、成長の証である。
もしも、大勢の前で話す機会が与えられたなら、
失敗する不安を抱くよりも、感謝した方がいい。
自分が、そんな失敗をできる舞台に立てること、
そのレベルまで成長した自分を褒め楽しむことだ。
心配することは、何の役にも立たない。
心配は、少しも明日の悲しみを減らしてはくれない。
100%完璧な人間など存在しない。
不完全さこそが人間の良さであり、奥深さだ。
10回打席に立って3回成功すれば、
それだけで首位打者になることができる。
7回失敗することを心配することよりも、
むしろ大舞台に立てることを喜び、そして十分に楽しもう。
失敗は、人を成長させる。
その成長は、人間性を高め奥深さを与えてくれる。
人にとっては、どんなゴールに到達したかではなく、
それによって、どんな人になったかが重要なのだから。
それでは!
13:46:00 -
Mikamos -
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◆大樹の種
2009-01-06
どんな状況であれ、どんな結果であれ、
それを価値あるものにすることはできる。
そのとき、他人の評価には意味はない。
その忠告を心で受け止めたとき、
自分自身がどう感じ、そして気付きがあるかどうか。
不可能を可能としてきた人たちは、
その過去の歴史の中で、例外なくいつもそうしてきた。
自分に必要なものだけを、
素直に受け入れ、積極的に取り組んできた。
状況をどういった視点で、どう判断するか。
その選択は、まったくの自由で制限はない。
靴のセールスマンとして派遣されたところが、
誰一人として靴を履いていないような場所だとしたら。
果たして、自分は災難だと感じるだろうか、
それとも、絶好のチャンスとみるだろうか。
この小さな感じ方の違いは、可能性を秘めている。
歴史を変える種となるか、愚痴の種で終わるのか。
自分は、いつもどんな種を植えているか。
前向きで、情熱を抱いた小さな種は、
不可能を可能にする力を秘めている。
しかし、その小さな種を育てていく環境は、
いつも、決して恵まれているわけではない。
困難に援助の手がないこともあるだろう。
悪意のない忠告が、影を作ることもある。
忍耐を必要とすることや失望を感じること、
屈辱を与えられることもあるだろう。
迷ったときは、その種を心に戻してみるといい。
まっすぐにその種だけを見つめなおしてみる。
それでも、その種を育てたいと感じたならば、
もうそれ以上に、迷う必要はないはずだ。
その種が、芽を出し始める日はそう遠くない。
その芽が大樹に育ったとき、
周囲の無関心だった人たちは、こう言うだろう。
「運がよかっただけだろう」
「自分にもチャンスがあれば出来たはずだ」
そして、こう質問する。
「それが出来た秘訣は何ですか?」
答えは、「種を植えた」だけ。
しかし、その答えに納得はしてくれない。
「本当の秘訣を隠しているに違いない」
真実は、いつもシンプルだ。
麦の種から、トウモロコシは作れない。
大樹に育つ種を植える人になるのか。
その大樹を見て、ただ質問する人になるのか。
今日、それを選択することができる。
それでは!
それを価値あるものにすることはできる。
そのとき、他人の評価には意味はない。
その忠告を心で受け止めたとき、
自分自身がどう感じ、そして気付きがあるかどうか。
不可能を可能としてきた人たちは、
その過去の歴史の中で、例外なくいつもそうしてきた。
自分に必要なものだけを、
素直に受け入れ、積極的に取り組んできた。
状況をどういった視点で、どう判断するか。
その選択は、まったくの自由で制限はない。
靴のセールスマンとして派遣されたところが、
誰一人として靴を履いていないような場所だとしたら。
果たして、自分は災難だと感じるだろうか、
それとも、絶好のチャンスとみるだろうか。
この小さな感じ方の違いは、可能性を秘めている。
歴史を変える種となるか、愚痴の種で終わるのか。
自分は、いつもどんな種を植えているか。
前向きで、情熱を抱いた小さな種は、
不可能を可能にする力を秘めている。
しかし、その小さな種を育てていく環境は、
いつも、決して恵まれているわけではない。
困難に援助の手がないこともあるだろう。
悪意のない忠告が、影を作ることもある。
忍耐を必要とすることや失望を感じること、
屈辱を与えられることもあるだろう。
迷ったときは、その種を心に戻してみるといい。
まっすぐにその種だけを見つめなおしてみる。
それでも、その種を育てたいと感じたならば、
もうそれ以上に、迷う必要はないはずだ。
その種が、芽を出し始める日はそう遠くない。
その芽が大樹に育ったとき、
周囲の無関心だった人たちは、こう言うだろう。
「運がよかっただけだろう」
「自分にもチャンスがあれば出来たはずだ」
そして、こう質問する。
「それが出来た秘訣は何ですか?」
答えは、「種を植えた」だけ。
しかし、その答えに納得はしてくれない。
「本当の秘訣を隠しているに違いない」
真実は、いつもシンプルだ。
麦の種から、トウモロコシは作れない。
大樹に育つ種を植える人になるのか。
その大樹を見て、ただ質問する人になるのか。
今日、それを選択することができる。
それでは!
10:11:00 -
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◆メッセージを聞き分ける
2009-01-01
他人の意見は、聞くべきか聞かないべきか。
自分の道を進むべし。
いや、そこは謙虚になるべし。
この二つの考え方は、どちらとも正しい。
他人から発せられるメッセージには、
二つの種類があると思っておく。
忠告のメッセージと見極めのメッセージ。
何かを気付かせるために発せられる、
忠告のメッセージは、プラスに向かうメッセージだ。
そのメッセージを謙虚に受け止めて、
そこにある「気付き」を得ることで成長できる。
逆に、見極めのメッセージは、
自分を試すためのメッセージだと思えばいい。
本当に、それを実行する資格を兼ね備えているか、
その情熱や熱意は、本物であるのかが見極められる。
そのメッセージには、ある枠に連れ戻す役割がある。
本当にそれに向かうべきかを試されている。
「起業すれば、97%は失敗するよ」
「転職で、成功する割合は、・・・」
今の枠に連れ戻そうとするメッセージを、
忠告と受け取るのか、見極めと受け取るのか。
それは、その人それぞれによって違う。
また、それによって行動は180度変わってくる。
そのメッセージが忠告なのか、見極めなのか。
それを判断するには、心に訊いてみるしかない。
腑に落ちる解釈は、どちらか。
それを、自分自身で確認してみるといい。
必ず、どちらかの解釈で腑に落ちるはずだ。
ただ、どちらにしてもいえることは、
いずれの解釈も、「自分のため」ということだ。
忠告を無視して、痛い思いをするのは自分。
また、見極めに屈して、諦めてしまうのも自分。
自分自身に対してどう解釈するべきか。
その解釈に他人の評価は意味をなさない。
メッセージを聞き分ける。
その行為に自信と謙虚さを持っていたい。
それでは!
20:41:48 -
Mikamos -
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