Archive for February of 2009
◆自分棚卸し
2009-02-26
自分には、どんな能力があるのか。
そのことを、真剣に見直してみることは少ない。
人は、必ず存在しているだけの使命がある。
本来、その使命は周囲の期待となって現れ、
その期待に応えることで貢献し満たされていく。
その使命と期待とを繋ぎ合わせるのが、
自分自身と向き合い、自尊心を養うところにある。
そこには、誰にも真似ができないような能力が、
誰にでもあるはずなのに、あまり活かせていない。
それは、とても残念なことだ。
これは、人だけではなく企業などにもみえる。
本来の能力や期待を感じ取れていないのだ。
それは、自分で器を小さくしてしまうようなもの。
もっと、価値を生み出せるのに限界を感じている。
「勝手に」限界を感じている。
期待し、その能力を信じているのだから、
勝手に限界を感じるのはやめてほしい。
そう感じる根底には、信念不足がある。
そのことに執念や熱意が足りないのだ。
能力の限界を感じるから信念が足りないのか。
そんな議論は、どちらでも構わない。
問題は、能力の限界ではなく、信念の欠如にある。
自分の活動にエネルギーを感じていないなら、
自分の本来を能力に気付いていない証拠。
やっていることの成否よりも、
まず、自分の活動の源を探る必要がある。
そのヒントは、必ず周囲の人との、
ふれあいや会話の中から気付かされる。
その気付きを素直に受け止めてみること。
成長する人に、素直さや謙虚さが必要な理由だ。
エネルギーを感じられる活動に気付いたら、
自信を持って、そのエネルギーを強くしてみる。
それは、周囲の人たちから感謝や感動など、
良い反応となって返ってくるだろう。
自分の過去の経験や得意な事、好きな事。
とにかく、棚卸しをしてみよう。
その中で、人の役に立てたり、
人を助けたりできることはなんだろうか。
能力に限界はない。
いつも足りないのは、信念だ。
勝手に限界を感じるのはやめて、
本当の自分の大きさを感じ取ってみよう。
それでは!
そのことを、真剣に見直してみることは少ない。
人は、必ず存在しているだけの使命がある。
本来、その使命は周囲の期待となって現れ、
その期待に応えることで貢献し満たされていく。
その使命と期待とを繋ぎ合わせるのが、
自分自身と向き合い、自尊心を養うところにある。
そこには、誰にも真似ができないような能力が、
誰にでもあるはずなのに、あまり活かせていない。
それは、とても残念なことだ。
これは、人だけではなく企業などにもみえる。
本来の能力や期待を感じ取れていないのだ。
それは、自分で器を小さくしてしまうようなもの。
もっと、価値を生み出せるのに限界を感じている。
「勝手に」限界を感じている。
期待し、その能力を信じているのだから、
勝手に限界を感じるのはやめてほしい。
そう感じる根底には、信念不足がある。
そのことに執念や熱意が足りないのだ。
能力の限界を感じるから信念が足りないのか。
そんな議論は、どちらでも構わない。
問題は、能力の限界ではなく、信念の欠如にある。
自分の活動にエネルギーを感じていないなら、
自分の本来を能力に気付いていない証拠。
やっていることの成否よりも、
まず、自分の活動の源を探る必要がある。
そのヒントは、必ず周囲の人との、
ふれあいや会話の中から気付かされる。
その気付きを素直に受け止めてみること。
成長する人に、素直さや謙虚さが必要な理由だ。
エネルギーを感じられる活動に気付いたら、
自信を持って、そのエネルギーを強くしてみる。
それは、周囲の人たちから感謝や感動など、
良い反応となって返ってくるだろう。
自分の過去の経験や得意な事、好きな事。
とにかく、棚卸しをしてみよう。
その中で、人の役に立てたり、
人を助けたりできることはなんだろうか。
能力に限界はない。
いつも足りないのは、信念だ。
勝手に限界を感じるのはやめて、
本当の自分の大きさを感じ取ってみよう。
それでは!
08:57:23 -
Mikamos -
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◆どのように?
2009-02-24
質問の仕方によって、
その行動は、全く異なるものになる。
状況を分析するような取り組みに対して、
「なぜ?」という質問は、有効である。
しかし、「なぜ?」という質問が、
対応力を低下させてしまうことがあることも理解しておく。
特に、友人や部下、配偶者や子供に対して、
「なぜ?」という質問は、遠回りさせてしまう。
「なぜ?」という質問に応えようと思えば、
自然と、言い訳や愚痴が出てしまうもの。
「なぜ、それができないのか」
「なぜ、こんな結果になってしまったのか」
出てくる応えのほとんどは、
「出来なかった理由」や「出来ない理由」。
それは、「だから、出来ない」という、
否定的な気持ちを増幅させてしまうことになる。
そんな状況のときは、「なぜ?」ではなく、
「どのように?」と質問するようにしたい。
「どのようにすれば出来るのか」
「どのようにすればよかったのか」
こうした質問に対する応えには、
それを改善するのためのヒントが多く含まれる。
次にすることは、その価値を認め、
共感し、応援する気持ちを伝えるだけだ。
人は、どんなに優秀な人であっても、
強制的に行うことの生産性は低い。
自らの思いで実行される行動は、
たとえそれがどんな結果であれ価値をもたらす。
「信念を持った一人は、信念を持たない100人に勝る」
自ら行動し結果を出す喜びを分かち合う。
それを促すためのコミュニケーション。
取り繕うだけでごまかせる時代は終わった。
信念や情熱が生み出す「本物」が求められる時代。
その「本物」のエネルギーを充満させるのは、
「なぜ?」ではなく、「どのように?」という質問だ。
コミュニケーションとは、その過程ではなく、
それによってもたらされる結果に注目する必要がある。
欲しい結果を得られない「なぜ?」の質問は、
本当の意味でのコミュニケーションとはいえない。
「どのように?」
この建設的で前向きな質問をするだけで、
たくさんの人を助けることができる。
それでは!
その行動は、全く異なるものになる。
状況を分析するような取り組みに対して、
「なぜ?」という質問は、有効である。
しかし、「なぜ?」という質問が、
対応力を低下させてしまうことがあることも理解しておく。
特に、友人や部下、配偶者や子供に対して、
「なぜ?」という質問は、遠回りさせてしまう。
「なぜ?」という質問に応えようと思えば、
自然と、言い訳や愚痴が出てしまうもの。
「なぜ、それができないのか」
「なぜ、こんな結果になってしまったのか」
出てくる応えのほとんどは、
「出来なかった理由」や「出来ない理由」。
それは、「だから、出来ない」という、
否定的な気持ちを増幅させてしまうことになる。
そんな状況のときは、「なぜ?」ではなく、
「どのように?」と質問するようにしたい。
「どのようにすれば出来るのか」
「どのようにすればよかったのか」
こうした質問に対する応えには、
それを改善するのためのヒントが多く含まれる。
次にすることは、その価値を認め、
共感し、応援する気持ちを伝えるだけだ。
人は、どんなに優秀な人であっても、
強制的に行うことの生産性は低い。
自らの思いで実行される行動は、
たとえそれがどんな結果であれ価値をもたらす。
「信念を持った一人は、信念を持たない100人に勝る」
自ら行動し結果を出す喜びを分かち合う。
それを促すためのコミュニケーション。
取り繕うだけでごまかせる時代は終わった。
信念や情熱が生み出す「本物」が求められる時代。
その「本物」のエネルギーを充満させるのは、
「なぜ?」ではなく、「どのように?」という質問だ。
コミュニケーションとは、その過程ではなく、
それによってもたらされる結果に注目する必要がある。
欲しい結果を得られない「なぜ?」の質問は、
本当の意味でのコミュニケーションとはいえない。
「どのように?」
この建設的で前向きな質問をするだけで、
たくさんの人を助けることができる。
それでは!
18:14:31 -
Mikamos -
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◆神の業(わざ)
2009-02-19
自我(エゴ)と競争と繁栄。
ひとつの時代を象徴するかのような言葉。
過度な成果主義と競争社会は、
時に、無機質で幻想的な繁栄を作り出してしまった。
食品偽装問題やマネーゲームの成れの果て。
社会は、多くの「学び」を得ることとなった。
自然と協調と公平。
人にとっての「豊かさ」や「幸せ」に気付く。
人生が、1日1日の積み重ねで築かれるように、
社会は、一人一人の人間の集合によって築かれている。
よい会社、社会を作るためにすることは、
今、まさに目の前にいる人との関係を築くこと。
「私も、世界の平和に貢献したいのですが」
こう質問されたマザー・テレサは、こう応えた。
「あなたの家族の平和を保ちなさい」
すべての人には、感情があり思いがある。
だから、人は、「管理」することでは動かない。
感情どうしが触れ合うことに躊躇することはある。
そこに、卑下される恐怖を感じることもある。
でも、実際には何も心配する必要はない。
多くの人は、人の失敗など、さほど興味はない。
自分の「過ち」を感じるならば、
それは、「成長の証」だということだ。
人生の目的は、「何を得るか」ではなく、
「どういう人間になるのか」であるという。
そのためには、経験を積むことしかない。
そして、経験とは、周囲との係わりの中で生まれる。
過ちは、人の常。
許すは、神の業。
神様を信じてみてもいいときがある。
それでは!
ひとつの時代を象徴するかのような言葉。
過度な成果主義と競争社会は、
時に、無機質で幻想的な繁栄を作り出してしまった。
食品偽装問題やマネーゲームの成れの果て。
社会は、多くの「学び」を得ることとなった。
自然と協調と公平。
人にとっての「豊かさ」や「幸せ」に気付く。
人生が、1日1日の積み重ねで築かれるように、
社会は、一人一人の人間の集合によって築かれている。
よい会社、社会を作るためにすることは、
今、まさに目の前にいる人との関係を築くこと。
「私も、世界の平和に貢献したいのですが」
こう質問されたマザー・テレサは、こう応えた。
「あなたの家族の平和を保ちなさい」
すべての人には、感情があり思いがある。
だから、人は、「管理」することでは動かない。
感情どうしが触れ合うことに躊躇することはある。
そこに、卑下される恐怖を感じることもある。
でも、実際には何も心配する必要はない。
多くの人は、人の失敗など、さほど興味はない。
自分の「過ち」を感じるならば、
それは、「成長の証」だということだ。
人生の目的は、「何を得るか」ではなく、
「どういう人間になるのか」であるという。
そのためには、経験を積むことしかない。
そして、経験とは、周囲との係わりの中で生まれる。
過ちは、人の常。
許すは、神の業。
神様を信じてみてもいいときがある。
それでは!
12:32:14 -
Mikamos -
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◆深呼吸
2009-02-17
どんなにお金持ちでも、地位の高い人でも、
無ければ必ず死んでしまうものがある。
すべての生物に共通して必要なもの。
それが、「酸素」であり、「呼吸」だ。
しかし、誰も酸素がなくなることを心配しないし、
酸素を体内に取り入れることに力は注がない。
当たり前で当然のように、それは行われる。
もし、それを一日のうちに数回意識して行ったとする。
ゆっくり吸って吐くという深呼吸。
酸素は、リンパの流れを良くして老廃物の排出を促す。
それは、身体にとって最高のプレゼントになるだろう。
呼吸と同じように、本当は、とても大切なことであるのに、
全く意識を持って行われないことは、意外と多い。
人生を充実させるために必要なことは、
他人との係わりであり、前向きな人間関係だ。
それを、否定する人は、おそらくいないだろう。
しかし、そのために「何か」をしているだろうか。
人と人とのコミュニケーションは、
人間関係における呼吸のようなもの。
何もしなくとも、それはそれなりに流れていく。
本当は、とても大切なことなのに大半を流れにまかせる。
自分にとって、大切な関係には、
自ら大きく深呼吸をしてみることも必要だ。
多くの「酸素」を取り入れ、お互いを知り、
関係を阻害する要素を防ぎ、取り除く。
どこにでも、当たり前のように、
そこにある人とのコミュニケーション。
失えば死んでしまうほど辛いのに、
何も行動を起こしていないことはないだろうか。
何も難しいことはひとつもない。
ただ、いつもより意識して「呼吸」してみるだけだ。
「酸素」の大切さを再認識したら、
大きく息を吸って、深呼吸をしてみよう。
自然と「流れ」は良くなっていくだろう。
それでは!
無ければ必ず死んでしまうものがある。
すべての生物に共通して必要なもの。
それが、「酸素」であり、「呼吸」だ。
しかし、誰も酸素がなくなることを心配しないし、
酸素を体内に取り入れることに力は注がない。
当たり前で当然のように、それは行われる。
もし、それを一日のうちに数回意識して行ったとする。
ゆっくり吸って吐くという深呼吸。
酸素は、リンパの流れを良くして老廃物の排出を促す。
それは、身体にとって最高のプレゼントになるだろう。
呼吸と同じように、本当は、とても大切なことであるのに、
全く意識を持って行われないことは、意外と多い。
人生を充実させるために必要なことは、
他人との係わりであり、前向きな人間関係だ。
それを、否定する人は、おそらくいないだろう。
しかし、そのために「何か」をしているだろうか。
人と人とのコミュニケーションは、
人間関係における呼吸のようなもの。
何もしなくとも、それはそれなりに流れていく。
本当は、とても大切なことなのに大半を流れにまかせる。
自分にとって、大切な関係には、
自ら大きく深呼吸をしてみることも必要だ。
多くの「酸素」を取り入れ、お互いを知り、
関係を阻害する要素を防ぎ、取り除く。
どこにでも、当たり前のように、
そこにある人とのコミュニケーション。
失えば死んでしまうほど辛いのに、
何も行動を起こしていないことはないだろうか。
何も難しいことはひとつもない。
ただ、いつもより意識して「呼吸」してみるだけだ。
「酸素」の大切さを再認識したら、
大きく息を吸って、深呼吸をしてみよう。
自然と「流れ」は良くなっていくだろう。
それでは!
15:52:02 -
Mikamos -
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◆ブランド
2009-02-12
消費が低迷していく中、
企業として生き残っていくために必要なこと。
商品価値やレベルの差だけでは選ばれない。
なぜ、それを選ぶのかの理由が必要だ。
その効果をあからさまに示してくれるのが、
その企業や商品の持つ「ブランド」だ。
ブランド戦略は、ますます重要性を増している。
ブランド力を打ち出せないコモディティ商品は、
価格競争を強いられ、苦労ばかりが絶えない。
逆に、ブランド力があれば、
自分の土俵や得意なやり方で勝負できる。
ただの石コロでも、そこにヴィトンの文字があれば、
そこに共通的な価値が生まれてくる。
ブランドとは、そのステークホルダーに対して、
共通的な認識や価値を持ってもらうこと。
顧客、従業員、株主というステークホルダーが、
認知し、共感し、納得できるブランド。
それを築けているところは強い。
だから、商品そのものの良さよりも、
ブランドイメージを伝えることの方が反応はいい。
欲求に訴え、購買につなげられるのは、
商品力よりも、ブランド力によるところが大きい。
さらに、使ってみて質も良ければ、
顧客満足度は向上し、ファンを作ることできる。
ブランドという概念は、企業や商品だけではない。
自分自身をブランディングするということもできる。
同じ仕事や作業を行うにしても、
自分ブランドをイメージして取り組みを行う。
それは、いつしかブランドとして周囲に浸透し、
いざという時に白羽の矢が立つことになる。
ブランドコンセプトの時代。
自分をいかにブランディングするかが、
腕の見せ所であり、楽しめる部分でもある。
それでは!
企業として生き残っていくために必要なこと。
商品価値やレベルの差だけでは選ばれない。
なぜ、それを選ぶのかの理由が必要だ。
その効果をあからさまに示してくれるのが、
その企業や商品の持つ「ブランド」だ。
ブランド戦略は、ますます重要性を増している。
ブランド力を打ち出せないコモディティ商品は、
価格競争を強いられ、苦労ばかりが絶えない。
逆に、ブランド力があれば、
自分の土俵や得意なやり方で勝負できる。
ただの石コロでも、そこにヴィトンの文字があれば、
そこに共通的な価値が生まれてくる。
ブランドとは、そのステークホルダーに対して、
共通的な認識や価値を持ってもらうこと。
顧客、従業員、株主というステークホルダーが、
認知し、共感し、納得できるブランド。
それを築けているところは強い。
だから、商品そのものの良さよりも、
ブランドイメージを伝えることの方が反応はいい。
欲求に訴え、購買につなげられるのは、
商品力よりも、ブランド力によるところが大きい。
さらに、使ってみて質も良ければ、
顧客満足度は向上し、ファンを作ることできる。
ブランドという概念は、企業や商品だけではない。
自分自身をブランディングするということもできる。
同じ仕事や作業を行うにしても、
自分ブランドをイメージして取り組みを行う。
それは、いつしかブランドとして周囲に浸透し、
いざという時に白羽の矢が立つことになる。
ブランドコンセプトの時代。
自分をいかにブランディングするかが、
腕の見せ所であり、楽しめる部分でもある。
それでは!
20:28:05 -
Mikamos -
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◆一事が万事
2009-02-10
お寺などで行う修行といえば、
ひたすら掃除をするイメージがある。
なぜ、掃除なのだろうか。
掃除をやり続けることに何があるのだろうか。
そういった疑問を頂かざるを得なかったが、
その疑問の答えを知るための修行だと教えられ納得した。
誰しも、はじめはこれが何の役に立つのかと、
疑問を感じながら毎日掃除を続ける。
いつになったら、本当の「技」を教えてもらえるのか。
悶々としながらも、掃除を続ける。
そう感じている間は、次に進むことはないという。
師匠の狙いは、その悶々とした疑問を感じなくなること。
自然と当たり前のように身体が動いて掃除する。
そういった状況にあって、ようやく次へいける。
そこには、壮大な真理があって、
全てのものは、今存在する姿が完璧だと悟ること。
柳は緑で、眉は目の上にあることを知る。
どんな些細なことであっても、
そのあり方には、意味があって無駄はない。
そういった教えがそこにはあるという。
それを知ると、すべてのことが大切にできる。
いい加減さがなくなっていき、仏に近づくことを意味する。
なぜなら、仏は、すべてのものを愛しているから。
実に、奥が深い。
到底、辿り着けそうにない境地だ。
そこには、特別な超能力があるわけではない。
しかし、その力は限りなく大きな力だ。
このことを、至極簡単に言い表すなら、
「一事が万事」という言葉かもしれない。
「これは、いい加減でもいい」という考えは、
結局、すべての完成度を下げてしまう。
整理整頓。
これが、基本といわれる所以だろう。
後始末ひとつ、「一事が万事」。
その意義は、想像以上に大きい。
それでは!
ひたすら掃除をするイメージがある。
なぜ、掃除なのだろうか。
掃除をやり続けることに何があるのだろうか。
そういった疑問を頂かざるを得なかったが、
その疑問の答えを知るための修行だと教えられ納得した。
誰しも、はじめはこれが何の役に立つのかと、
疑問を感じながら毎日掃除を続ける。
いつになったら、本当の「技」を教えてもらえるのか。
悶々としながらも、掃除を続ける。
そう感じている間は、次に進むことはないという。
師匠の狙いは、その悶々とした疑問を感じなくなること。
自然と当たり前のように身体が動いて掃除する。
そういった状況にあって、ようやく次へいける。
そこには、壮大な真理があって、
全てのものは、今存在する姿が完璧だと悟ること。
柳は緑で、眉は目の上にあることを知る。
どんな些細なことであっても、
そのあり方には、意味があって無駄はない。
そういった教えがそこにはあるという。
それを知ると、すべてのことが大切にできる。
いい加減さがなくなっていき、仏に近づくことを意味する。
なぜなら、仏は、すべてのものを愛しているから。
実に、奥が深い。
到底、辿り着けそうにない境地だ。
そこには、特別な超能力があるわけではない。
しかし、その力は限りなく大きな力だ。
このことを、至極簡単に言い表すなら、
「一事が万事」という言葉かもしれない。
「これは、いい加減でもいい」という考えは、
結局、すべての完成度を下げてしまう。
整理整頓。
これが、基本といわれる所以だろう。
後始末ひとつ、「一事が万事」。
その意義は、想像以上に大きい。
それでは!
21:13:52 -
Mikamos -
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◆土嚢(どのう)の山
2009-02-05
人は、自分にとってプラスかマイナスかに関係なく、
固定観念がなければ生きて行けない。
固定観念がなければ選択や決断することはできないが、
自分の目標を阻害してしまうマイナスの固定観念もある。
そういった固定観念は、できるだけなくしていきたい。
そのマイナス要因をもたらす固定観念の中で、
最も無くす必要がある固定観念がある。
それは、「自分は、すでに知っている」。
この自分勝手な固定観念は、
せっかくの有益な情報や気付きから遠ざけてしまう。
たとえ、長い期間で特別な知識を持っていたとしても、
その知識だけで、「すでに知っている」というには儚い。
自分自身が、大きな流れの中にあって、
その恩恵を受けながら生きていると知る。
今、知っていることは、その流れの中にある、
ほんの一瞬で、わずかなことでしかない。
その小さな原石を手にしていると理解して、
その原石を自分なりに磨いて役立てようとしてみる。
その知識は、選ばれて与えられたものだから、
独り占めしたり、他人を打ち負かすためのものではない。
同じように、自分の知らないことを、
選ばれて与えられた人から学ぶこともできる。
突き詰めていけば、すべての物事は、
天地自然の理の中で動いている。
その天地自然の理を感じ取れれば、
他人に出し抜かれることなど心配することはなくなる。
他人に惜しみなく知識を与え教えることで、
自分自身の学びの速度は、格段に向上する。
知識を与えることで出来る空スペースに、
新しい知識や情報は、どんどん流れ込んでくる。
しかし、「すでに知っている」という観念があれば、
空スペースへの流れを止めてしまうことになる。
「本当に物事をよく判っている人とは、
自分は、ほとんど判っていないとよく知っている人だ」
天地自然の理に従って流れ込む知識を、
自ら止めてしまうようなことをしてはいけない。
「自分は、すでに知っている」
そう感じるタイミングがあったなら、
美しい渓流を堰き止める土嚢の山をイメージしよう。
それは、ずいぶんと不快なことだ。
すぐに土嚢を取り除いて美しい流れを取り戻そう。
それでは!
固定観念がなければ生きて行けない。
固定観念がなければ選択や決断することはできないが、
自分の目標を阻害してしまうマイナスの固定観念もある。
そういった固定観念は、できるだけなくしていきたい。
そのマイナス要因をもたらす固定観念の中で、
最も無くす必要がある固定観念がある。
それは、「自分は、すでに知っている」。
この自分勝手な固定観念は、
せっかくの有益な情報や気付きから遠ざけてしまう。
たとえ、長い期間で特別な知識を持っていたとしても、
その知識だけで、「すでに知っている」というには儚い。
自分自身が、大きな流れの中にあって、
その恩恵を受けながら生きていると知る。
今、知っていることは、その流れの中にある、
ほんの一瞬で、わずかなことでしかない。
その小さな原石を手にしていると理解して、
その原石を自分なりに磨いて役立てようとしてみる。
その知識は、選ばれて与えられたものだから、
独り占めしたり、他人を打ち負かすためのものではない。
同じように、自分の知らないことを、
選ばれて与えられた人から学ぶこともできる。
突き詰めていけば、すべての物事は、
天地自然の理の中で動いている。
その天地自然の理を感じ取れれば、
他人に出し抜かれることなど心配することはなくなる。
他人に惜しみなく知識を与え教えることで、
自分自身の学びの速度は、格段に向上する。
知識を与えることで出来る空スペースに、
新しい知識や情報は、どんどん流れ込んでくる。
しかし、「すでに知っている」という観念があれば、
空スペースへの流れを止めてしまうことになる。
「本当に物事をよく判っている人とは、
自分は、ほとんど判っていないとよく知っている人だ」
天地自然の理に従って流れ込む知識を、
自ら止めてしまうようなことをしてはいけない。
「自分は、すでに知っている」
そう感じるタイミングがあったなら、
美しい渓流を堰き止める土嚢の山をイメージしよう。
それは、ずいぶんと不快なことだ。
すぐに土嚢を取り除いて美しい流れを取り戻そう。
それでは!
12:08:22 -
Mikamos -
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◆食生活
2009-02-03
永い間、感情が行動を決めてきたと言われてきた。
気分が乗らないから、肩を落とす。
不安で一杯だから、ふさぎこむ。
しかし、真実は逆だという主張がある。
身体の動かし方が感情を決めているという見方。
楽しいから、笑顔になれるのではなく、
笑顔を作ることで、楽しくなれるということ。
三次元の世界に生きる人間の活動は、
すべて、身体を動かす行動によって生み出される。
身体の状態を、最高の状態に保つことは、
感情をも豊かにしてくれ、毎日を幸せにしてくれる。
身体の状態を作り出しているのは、
食生活と運動に他ならない。
現代社会の食生活では、少し気を許すと、
身体の状態を阻害する要因が流れ込んでくる。
塩分、糖分、たんぱく質、炭水化物の過多。
これらの取りすぎは、細胞を干からびさせる。
それが、数々の病気を引き起こす要因になる。
さらに、肉などの消化の負荷の高い食材は、
身体から、エネルギーを奪っていく。
元気をつけるための焼肉。
骨を強くするための牛乳。
蔓延している、こうした誤解から身を守るために
正しい知識をつける必要がある。
原則は、簡単だ。
人間の身体は、細胞の塊で出来ている。
そして、細胞の80%以上は水分だ。
浸透圧の授業を覚えているなら、
何が細胞を干からびさせ、何が必要かは判る。
怪力の持ち主のゴリラは、何を主食としているか?
ゴリラは、焼肉を食べたりしないし、その必要もない。
自然は、いつもシンプルで、
明確な答えを示してくれている。
心理状態が不安定なら、まず食生活を見直してみる。
身体の状態を最高にして、笑顔を作ってみよう。
それでは!
09:10:39 -
Mikamos -
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