Archive for April of 2009

◆無言の強者


2009-04-30

速く行動を起こすことは成功の条件で、
グズは、悪しき習慣だいわれる。


一方で、性急さは事を仕損じる、
最大の要因とも云われる。


良い結果をもたらすための迅速な行動と、
事を仕損じてしまう要因の性急さ。


この行動の違いを明確に分けるのは、
「平常心」のあり方にあるいえる。


性急さと平常心は、相容れない。


平常心を失いかけているときに、
「すぐに行動しなければ」と感じたら黄信号。


一旦、立ち止まって深呼吸し、
平常心を取り戻す時間を持つ価値は高い。


しかし、焦りやイライラの状態から、
平常心への切り替えは簡単なことではい。


だからこそ、普段の生活の中においても、
平常心であることを心がけることが賢明だ。


何気ない行動ひとつひとつ、
目の前の事象ひとつひとつに平常心で応じる。


その訓練は、いざというときの
誤った判断を未然に防いでくれることとなる。


割り込みや店員の不躾な対応、
他人の言動に、とにかくイライラしないことだ。


常に平常心であって、受け流そう。


人生には、それ以上の事件や出来事は、
これから先、いくつも待ち構えている。


そのために試されているのだと思い起こして、
些細なことで、平常心を失わないこと。


自意識過剰な「反応」に気付くこと。


他人と勝負し続けていく人生は虚しいもの。
勝負する相手は、常に自分でありたい。


そして、平常心であることが、
自分自身への勝利のひとつであると感じよう。


平常心は、無言の強者だ。


それでは!


12:09:20 - Mikamos - No comments

◆フィルター


2009-04-28

ある事象に直面したとき、
人は、自分のフィルターを通して物事を判断する。


そのフィルターの数や種類が多ければ多いほど、
見える情報や条件が増えていく。


フィルターという切り口や観点によって、
区別するレベルが高まり、判断の精度は上がる。


しかし、物事に「反応」することに慣れてしまえば、
そのフィルターをひとつかふたつしか用意しない。


自分の経験や得意な分野に限定されたフィルター。
それによって、すべてを判ったと錯覚する。


つまり、限られた側面だけで判断しようとしてしまう。


たとえば、自分が、釣りに出かけるならば、
どんなフィルターを持ち合わせているだろうか。


道具の種別だけでは、結果は知れている。


季節、天候、水質、餌、風、水草、
プレッシャー、流れ、地形、過去と現在。


様々なフィルターが想定できるし、
その結果の複合は、様々な答えを導き出す。


単方向だけで判断した結果は虚しい。
基本的なフィルターは、少なくともカバーしたい。


企業であれば、ヒト、モノ、カネ。
人であれば、役割、特質、ビジョン、過去、etc。


さらに、その状況や目的によっては、
様々なフィルターを用意することができる。


何かを判断しようとするとき、
自分が用いているフィルターは何か?


もし、少ないと感じたならば、
見方を変えてもいいし、誰かの助言を仰げばいい。


フィルターのカードを増やすことは、
選択の質を向上することに繋がる。


経験を得たならば、フィルターのカードに加えよう。
そして、意思を持ってフィルターを選択しよう。


それが、「こなす生き方」を改め、
貴重な経験を活かす生き方のきっかけとなる。


それでは!


11:39:34 - Mikamos - No comments

◆自分を受け入れる


2009-04-23

理想とする自分に一歩踏み出せないでいる。


そんな状況にある原因のひとつ。
それは、「今の自分の受け入れられない」こと。


向かいのビルの屋上に行きたい自分がいる。
そして、飛び移れないでいる自分がいる。


飛ぶ移るだけの体力も運動能力も無い。
そのための飛行機を借りるお金も無い。


失敗すればまっさかさまに落ちる。


だから、諦めるしかない。
今の自分には、できっこないことだから。


「自分を受け入れる」ということは、
「今の自分がベストである」と認めること。


事を成すには、時間がかかるもの。
一ッ飛びに得られるものではない。


しかし、今すぐに飛び移れないことで、
その資格すら持ち合わせていないと錯覚する。


今のベストな自分にできること。


それは、まず一階に降りること。
階段で降りてもいいし、エレベーターもある。


たとえば、向かいのビルの入り口では、
関係者以外お断りということで入れないかもしれない。


次は、一緒に入れる人を探すことだ。


上に行くためのエレベーターは有料かもしれない。
だから、始めは階段で登ることから始めてみる。


しばらく上ったところで、荷物を持つ代わりに
同乗することを提案する機会を与えられるかもしれない。


そして、ようやく屋上に辿り着くまでに、
10年近い歳月が流れているかもしれない。


しかし、自分を受け入れ行動しなければ、
未だに、向かいのビルで諦めている自分がいる。


楽でないことを「諦めの理由」にしないこと。
時間と労力を惜しまないこと。


今の自分はベストだ。
今の状態がどうであれ、そこから始められる。


必ず前進の糸口は、どこかにあるのだから。


それでは!


09:05:11 - Mikamos - No comments

◆>リスク


2009-04-21

「遭遇するリスクや逆境には、
それと同等かそれ以上の利益が潜んでいる」


言い回しは違えど、過去の賢人達は、
こうした意図の忠告を後世に伝え続けている。


人には、それぞれ使命があるように、
その使命に気付かせるためのイベントも用意される。


それは、往々にして「問題の顔」をして現れる。


多くの人は、その問題をできるだけ避けるように、
できるだけ現状を維持できるように選択する。


しかし、過去の歴史を振り返っても、
30年以上同じ状況が続いたことはない。


ドッグイヤーと云われる昨今では、
おそらく、長くても10年で環境は大きく変化する。


現状維持は、後退を意味することを理解して、
積極的に、潜んだ利益を取る決意も必要だ。


プロフィット(利益)>リスク(困難、逆境)。


近視眼的には、辛いことも失敗もあるだろう。
しかし、永い目で見れば結果的に良い事も多い。


誰でも始めは失敗をする。
しかし、リスクを判断する力は養われる。


取るべきリスク。避けるべきリスク。
もちろん、ギャンブルは避けなければいけない。


この判断を的確に行うにも、
小さなリスクを取り続ける経験から生まれる。


その固体がどういった経験則を経ているか。


それを仮説し、アプローチすることで、
「取るべきリスク」として認識させることができる。


プロフィット(利益)>リスク(困難、逆境)。


どんな状況でも、優れた固体は、
この公式を描いていることを忘れない。


この公式が成り立つ選択をし続けよう。


それでは!


09:04:00 - Mikamos - No comments

◆偽りの尺度


2009-04-16

様々な価値観は、様々な尺度を生む。


それらの価値観の中で一般化されるのは、
保守的な最低限の最大公約数的要素である場合が多い。


会社選びの原則は、給与、休み、福利厚生である。
お金を増やすには、株や不動産への投資である。


こうした価値観は、決して間違いではないが、
それだけでは人を幸せにはしてくれない。


それ以前に大切な価値観があるにもかかわらず、
「偽りの尺度」によって、行動の成否を測ろうとする。


自分の意思から導かれる価値観。
それなくしては、決して満たされることはない。


それは、自分にウソをついているようなもの。
「偽りの尺度」で納得するための理由を作っている。


今の自分の判断が、「偽りの尺度」かどうか。
その基準は、それが「損得」か「善悪」か。


損得勘定だけの選択基準は、
本当の意味での自分の目標を遠ざける。


善悪に基づく判断は、一見遠回りのようでいて、
結果的には、目標到達への近道である場合が多い。


保守的であることは、決して悪くはないが、
自分へのウソは、必ず見直す機会が与えられる。


それに気付けない場合は、
幾度となく、その学習の機会が与えられる。


だから、結果的に遠回りになる。


あちこちに氾濫している「偽りの尺度」より、
自分自身から湧き出る「真実の尺度」を優先する。


自分のやりたいことを仕事にする。
自分に投資することの価値を知る。


その一見、非効率に見えることこそ、
本当の価値を計るための尺度となる。


それでは!


13:04:47 - Mikamos - No comments

◆最高の助言者


2009-04-14

行き詰るということがある。


あらゆる考えられる手を尽くしても、
打開できる兆しが一向に見えてこない。


焦る気持ちは出てくるし、
諦めや自棄になる気持ちも出てくる。


溜め息を漏らしていることに気付いたら、
一旦、手を離してみる決断をしてみよう。


それから、まずはこう自問してみる。


「今、自分がやろうとしていることは、
果たして、今まで誰もなしえなかったことだろうか」


この質問に対するほとんどの応えは、NOだろう。


過去、そして未来においても、
今やろうとしていることを、実現できる人はいる。


だから、可能である。


こう確認できたら、次は「全く別のこと」を始める。
一旦、手を離して思考部分も切り替えてみる。


景色を眺めてみる。
別の作業を始めてみる。
リラックスできることをやってみる。


行き詰って、狭くなった視野や考え方から離れ、
物事を俯瞰して整理する機会になる。


手放してから、数十分も待つことなく、
解決の糸口が湧き出てくることも珍しくない。


必要以上の執着や固執は、
往々にして良い結果を生み出してはくれない。


行き詰まり感は、執着のサイン。
左脳における論理思考のオーバーヒート。


そこで、右脳にバトンタッチ。


右脳は、左脳の思考範囲に囚われず、
あらゆる経験や知識から情報を導き出す。


右脳へのバトンタッチは、リラックス。
一旦、その問題から離れることが先決だ。


リラックスしている場合ではないことも、
焦る気持ちも理解できる。


勇気を持って、一旦手放す。


最高の助言者からのアドバイスを、
受け取らないという手はない。


それでは!


09:00:28 - Mikamos - No comments

◆「夢」は叶わない


2009-04-09

夢は、叶うか?


その夢が、幻想や妄想であるうちは、
それが実現することはないだろう。


夢が、幻想や妄想である特徴は、
そこに具体性が欠けていること。


その実現イメージや期日、計画が伴えば、
それは、「夢」ではなく、「目標」になる。


それを、頭に思い描くだけではなく、
スケジュール帳に書き込むことが賢明だ。


それを手帳に書き込むことで、
それを「予定」にすることができる。


「予定」とは、当然のように訪れること。
それは、実現して当然の出来事。


明日、会社に行くために電車に乗ることは、
自分自身にとって目標だろうか。


それは、「予定」だ。


寝坊、腹痛、電車の遅れ。
その予定を狂わせようとする「リスク」。


様々な「リスク」を無意識に回避して、
いつもの電車に当たり前のように乗り込む。


予定には、「当たり前に実現する力」がある。


金メダリストと銀メダリストの違いのひとつ。
それは、「予定」にしているかどうかだという。


彼らにとっては、金メダルを獲って当たり前。
それは、目標ではなく、すでに実現したイメージ。


朝会社に行くように、当たり前のように実現する。
「夢」を「予定」にしてしまう力は、偉大だ。


夢を夢のままにしておいては、実現は程遠い。


具体的な期日や計画を、スケジュール表に書き込む。
そして、それが当然訪れるかのように振舞う。


「成ろう」とすることは、「そうではない自分」を確認し、
「そうではない自分」を実現する。


予定にするには、「成る」ことから始めてみる。


スケジュール表を当たり前のように埋めて、
「夢」を「予定」にしてみよう。


それでは!



17:17:29 - Mikamos - No comments

◆孤独


2009-04-07

「孤独は、神に与えられた時間」


人は、孤独を感じたときに、
初めて神の存在を噛み締めるという。


枝葉末節な出来事に奔走している日常で、
神様の存在を感じることなど、ほとんどない。


しかし、砂漠でひとり彷徨っていたとしたらどうだろう。
神様にお願いしたくなる感情が沸き起こってくる。


孤独を痛切に感じ始めたとき、
人は、神や自分の存在について思い巡らせる。


その思い巡らせる時間は、「神に与えられた時間」。


「そんな時間は、ムダだ」
科学者は、そう言うかもしれない。


しかし、科学は、「どのように(HOW)」という疑問には、
応えてくれるが、「なぜ(WHY)」という質問には応えてくれない。


「人間や宇宙が、どのように存在するのか」。
科学は、その質問に応える準備は十分にある。


しかし、「なぜ、人間や宇宙が存在するのか」。
この質問に応えるための準備は持ち合わせていない。


この「なぜ」に応えるのは、
科学の役割ではなく、哲学の役割。


「なぜ」という質問に応えるには、
人類という枠組みを超えて「感じとる」以外にない。


その感性を磨く部分が、「神に与えられた時間」。


社会や学校や会社、そして科学者は、
その必要性も重要性も、教えてくれることはない。


それを、否がおうにも感じさせてくれるのが、
「孤独」という状況であり、その時間だ。


経営者ともなれば、孤独はつきもの。
しかし、孤独を感じることに後ろめたさは必要ない。


それは、神に与えられた時間であり、
森羅万象を「感じ取れ」というサインだ。


その時間は、小さなことに拘っていた自分や、
いらぬ心配や不安を感じていたことを気付かせてくれる。


孤独を感じることは、決して悪いことではない。
人生や生き方に深みを与えてくれる。


孤独、上等。


それでは!


11:09:38 - Mikamos - No comments

◆いのちの時間


2009-04-02

人生には、人それぞれのテーマがある。


そのテーマを人生の中で成しえるには、
必要な時間というものがあって、それも人それぞれ。


医者になるにも、弁護士になるにも、
いくら才能が豊かであっても必要な時間はある。


時間が短縮できることが優れているのではないし、
その速さを競うことに、全く意味はない。


人生とは、「いつ何をどれだけ得たか」ではなく、
「どういう人間になるために何をしてきたか」だ。


カーネルサンダースは60歳を超えてから、
ケンタッキーフライドチキンのレシピを売り歩いた。


そのとき、彼はハイウェイによって、
売上げが激減した店を手放して無一文だった。


さらに、そのレシピのライセンスを売り歩く過程で、
1000回以上も断られている。


60歳までの彼の人生は、決してムダではなく、
その結果として受け取るもののために必要な過程。


「いのちに齢を加えるのではなく、
齢にいのちを注ぎ込むようにしなさい」


ある医師が、恩師から教わった言葉だ。
人生は、その注ぎ込まれた重さで量られる。


自分のためだけに時間を注ぎ続ければ、
空っぽの器だけが残っていることに気付くだろう。


他人のために費やした時間は、
いのちの時間として、自分という器を満たしてくれる。


その過程に費やされる時間も労力も、
人それぞれであって、ベストなタイミングがある。


いつはじめても、どんな状況であっても、
始めるのに遅すぎるということはない。


時間の使い方を、ほんの少し見直すことで、
人生の軌道修正を、簡単に行うことができる。


「いのち」で満たす時間。
そのために必要な時間や出来事。


無駄な時間や出来事など存在しない。
遅すぎるということは、決してないのだ。


それでは!


09:40:58 - Mikamos - No comments