Archive for July of 2011

◆リアルなイメージ


2011-07-22


脳は、イメージしたものを実現するという。
そして、そのイメージの「意味」は、関係ない。


つまり、イヤなイメージも、いいイメージも、
イメージとして見れば同じだということ。


そして、そのイメージは、実現される。


であるならば、いいイメージだけを持てばいい。
それだけのことであるはずなのに、難しい。


いいイメージを「意図的に」描きながら、
実は心底は、悪いイメージを持つことがある。


欲しい結果が実現できないでいる場合は、
ほとんどが、このパターンであるという。


では、どうすれば、心底いいイメージを、
自分の中に作り上げることができるのか。


その方法が、「感情を乗せる」という方法だ。


頭の中に作った、いいイメージに、
そのイメージの中の自分が感じるであろう感情を被せる。


感情は、自分にとっていつもリアルだ。


だから、感情を乗せることで、
そのイメージは、リアルにある。


うれしさを感じながら、悲しいイメージはできない。
悲しさを感じながら、うれしいイメージはできない。


人間は、感情の生き物だから、
感情を常に、リアルの基準として生きている。


欲しいイメージが具体的ならば、
それを手にしたときの感情を感じてみる。


それが、脳への「正しい」信号の送り方だ。
意味は、頭で考えるのではなく、感情で与える。


それが、本当のリアルな自分なのだから。


それでは!
09:22:00 - Mikamos - No comments

◆アクション会議


2011-07-20


具体的に見えていないから、
不安に感じるということがある。


その不安を解消するために、
やみくもに、情報収集したり行動を起こす。


それが、状況を余計に混乱させる場合もある。


問題や課題というのには、特徴がある。
それは、「本質が見えれば解決したも同じ」。


つまり、何かうまくいかない状況などに、
直面した場合は、いきなり解決策を模索しない。


まずは、その問題の本質を見据える。


ある事柄に対する要件が不明確である故に、
漠然とした議論や取り組みになっている。


本来の目的と取り組みの整合性が、
見えなくなってきている。


何が判らないのか判らない。
これも、列記とした本質のひとつ。


本質を見極めていけば、
ある課題が、その他の課題の中心にあると気付く。


つまり、様々なタスクが輻輳する中においても、
そのプロジェクトの課題は、数個に集約される。


その中心的課題というのは、往々にして、
「誰も手につけたがらない」ものであることが多い。


要するに、「判っていて見て見ぬ振り」をしている。
そして、それを明確にした時点で、問題は解決に進む。


アクション会議の場においては、
こうした観点を持って取り組むことが賢明。


ただ、なぜだなぜだを繰り返しても無駄だし、
「何が問題だ」と問い詰めても、答は出てこない。


それが、判っていれば、対処は出来ているはずだ。
それよりも、本質を見抜くことに注力する。


それは、何かのちょっとした不整合だ。
第三者の俯瞰的視点が、それを見つけやすい。


会議を責任追求の場にしても始まらない。
こうした視点が、プロジェクトをレールに戻していく。


それでは!
09:19:00 - Mikamos - No comments

◆歩き続ける


2011-07-18


自分だけが、うまくいっていないのでは?
他の人は、もっと楽に生きているのでは?


そう感じてしまうほど、
落ち込んでしまうことがあるかもしれない。


しかし、それは自分だけが他人よりも、
劣っているという能力の足りなさによるものでない。


チャレンジしている人にとってみれば、
それは、つきものであるといえる。


そして、それを乗り越えてきたはず。
今までも、そうしてきたはず。


だから、これからも、それはできる。


ブライアン・トレーシーの詩は、
それを、思い出させてくれる。


「物事がうまくいかないとき

自分の進む道がずっと上り坂に思えるとき

貯金は少なく、 借金ばかりがかさむとき

ほほえみたいのに、ため息しか出ない

心配事で心が押しつぶされそうなとき

心配とあらば休んでもいい。でも、やめてはいけない。


人生に紆余曲折はつきもの

誰もがそれを経験する

そして、数多くの敗北を味わう

彼もあきらめなければ勝てていたかもしれない

どんなに苦しくても、あきらめてはいけない

次のチャンスで成功するかもしれない。


成功と失敗は表裏一体

疑いの雲があなたの目を曇らせ

自分がどれだけ成功に近づいているかわからない

遠くにあるように見えるが、実はすぐそこにあるのかもしれない

だから、たとえ力いっぱい打ちのめされても、しがみついていよう

最悪の状態に思えるときこそ、手を引いてはいけないのだ。」


それでは!
09:15:00 - Mikamos - No comments

◆何かが違う


2011-07-15

何かが違うという感覚がある。


そして、その感覚の大半において、
その根拠というのが、見つけにくい。


だから、頭で理論的に考えたとき、
その感覚が、正しいという判断が下せない。


多くの人は、その直感を信じることが出来ず、
理論的な思考の結果を重んじる。


一方で、優秀な経営者ほど、
自分の直感を信じているという統計もある。


不確実性の要因だらけの世の中。
すべての情報を把握して理論的な解は出せない。


そんなことをしようとすれば、
すべてが、後手になるか出来ないことになる。


直感というのは、根拠がないようでいて、
実は、「壮大な根拠」に基づいているといえる。


様々な経験や、一見、無関係と思える情報。
それらを横断的に結びつけた結果が、直感。


今、自分の意識化にある情報よりも、
はるかに膨大な情報の結びつきからもたらされる。


考えることをやめ、感じることにフォーカスする。
思考と直感のバランスを取るということ。


「腑に落ちる」という感覚を信じられれば、
余計な選択で、誤ることは少なくなる。


「何かが違う」。その感覚は、正しい。


時に、立ち止まるという選択もあるだろう。
しかし、それはそれで、必要なとき。


直感は、信じなければ始まらない。
それは、自分を信頼することと同じことだ。


それでは!
09:31:00 - Mikamos - No comments

◆近づきすぎると


2011-07-13


誤解されることは、多い。


特に、相手が近いほど、
近づきたい相手ほど、誤解される。


近づきすぎると、遠くなる。
これは、言いえて妙。


「得れば、失う」という関係に近い。
つまり、得なければ、失うことはない。


たとえば、恋人には別れがつきものでも、
友人関係に絶交は、めったに無い。


近づきすぎない距離が、逆に失わないことになる。


これは、実態の話ではなく、考え方の話。


世の中のすべてのものは、自分のもの。
実は、そういってのけることもできる。


手にすると、その瞬間から失う不安が付きまとう。
しかし、いつでも手に出来ると思えば不安はない。


そう、焦る必要はない。
いつでも、手に入れることが出来るのだ。


そもそも、すべては自分のものであって、
それでいて、自分のものではない。


これくらいの心持ちが余裕を作る。
そして、その余裕が実際にモノを近づける。


そして、実際、手にしたときに冷静さを失わない。
執着や固執はしないから失う不安はない。


ただ、大切に思う気持ちと感謝がそこにある。


手に出来ないことを悔やまない。
悩んだり、不安になったりする必要はない。


近づきすぎたら、遠くなる。
適度な距離感と冷静さをもって受け入れよう。


それでは!
09:30:00 - Mikamos - No comments

◆誘惑の選択肢


2011-07-11


「これで手を打ってみたらどうだ?」


そう言われているかのような選択肢が、
突然目の前に現れてくることは珍しくない。


本当に望んでいるものとは違うけれど、
条件的には悪くない(ように見える)。


そう感じて、思わず手が伸びそうになる。


急がば回れ。貧乏人の銭失い。
こうした経験が無かったわけではない。


この誘惑に対する毅然とした対応。
それが、試されているような、そんな気がする。


自分のスタイル、ポリシーがあるなら、
それは、断固として守り通す。


その意思が、見えなかった道に光を照らす。


お金が無い、時間が無い、今の自分には不釣合い。
それは、自分が勝手に作り上げた妄想にすぎない。


「この誘惑に勝てるか」
「お前の意思は、確かなものか」


そういったテストのようなものに対して、
ふと我に返るかのように冷静になれるか。


回り道を選ぶのは、他の誰でもない。
目的に向かってまっすぐ向かうのも自分。


余計な条件は、妄想。
本当の自分に向き合うこと。


それが、できるかどうかが、最初にある。


それでは!
09:25:00 - Mikamos - No comments

◆「同じ事をやってはダメ」


2011-07-08


「同じ事をやってはダメ」


この言葉足らずなメッセージは、
真意を理解されず誤解されることが多い。


「それって、もうあるじゃん」


こう表現されることもあるが、
これは、紛れもなくドリームキラー。


これを真に受けると、可能性の芽を摘んでしまう。


同じものがいけないのではない。
「同じメッセージ」であることがいけないのだ。


ホンダもトヨタも車を作っている。
どちらかがダメか?そんなことはない。


それぞれに発しているメッセージが違う。
つまり、ターゲットとしている層が違う。


つまり、商品やサービスの見た目ではなく、
そこから得られる感情に目を向けたメッセージ。


「安心感」を得たい人と「こだわり」を感じたい人。
それぞれに、求めるものは違ってくる。


同じ目的の商品でも、メッセージが違えば、
それは、まったく異なるものといっても過言ではない。


逆に、メッセージが同じならば、
その商品が、特別魅力的には感じにくい。


「どんな感情を満足させたいのか」


そこにフォーカスすれば、メッセージは見える。
同じであることの評価は、それからでも遅くない。


ドリームキラーの言葉に対して、
メッセージの違いを応える必要はない。


それは、往々にして徒労に終わる。


自分の信じたことを粛々と続ける。
それだけで充分だ。


それでは!
09:27:00 - Mikamos - No comments

◆自分クリエイト


2011-07-06

インターネットは、何をもたらしたか。
それは、多くの「ねばならない」の壁を崩した。


判らないことを調べるには、
知っている人に聴かねばならなかった。


個人の情報を発信するには、
特定の業者を経由しなければならなかった。


そして、そうしたことをするには、
それなりの時間もお金も、支払わなければならなかった。


そして、インターネット最大の貢献。


それは、価値観を発信するという特権を、
特定の人に限定しなくなったということだ。


これは、価値観の多様化と表現され、
ロングテールという現象を生み出してきた。


となりのラジコン好きのオジサンが、
世界のラジコン好きを魅了する情報を発信する。


お弁当レシピの情報発信が、
普通の主婦をカリスマ主婦への導いていく。


価値観を発信することは、特権ではなくなった。
「国民、総アーティスト化」と表現してもいいだろう。


これは、逆の言い方をすれば、
個人の価値観を表現するべき時代が来たといえる。


どんなニッチな分野の価値観でも、
世界規模にみれば、それなりの数になる。


その価値観を待っている人が、どこかにいる。


どんな状況の人でも、発信できる価値はある。
それを、体系立て整理することが創造(クリエイト)だ。


はじめよう、「自分クリエイト」。
世界は思っている以上に、そう遠くないはずだ。


それでは!
09:24:00 - Mikamos - No comments

◆ありがとう


2011-07-04

そのミスを責めるものはいないだろう。


ロランは、こういった。
「決して失敗しないものは、何事も成さないものばかりだ」


そのステージ上がるという事。
そして、その役を買って出るということ。


そこにいく勇気も気力も才能も持たぬものは、
そこに上がるものを責める資格はない。


そもそも、この世の中に失敗というものは存在しない。
もし存在するするならば、それは諦めたとき。


諦めなければ、それは失敗ではない。
成功に大きく一歩近づいた証にすぎない。


人には、それぞれステージと役割がある。


自分には、そのステージに上がる気力はあるだろうか。
その役を買って出る勇気はあろうだろうか


自分は、チャレンジしているだろうか。
自分は、諦めてはいないだろうか。


チャレンジするその姿は、
そう自問自答する機会を与えてくれた。


多くの学びと感動と勇気を与えてくれた。
無限の可能性ということを教えてくれた。


何よりも、そのことに心から感謝したい。


それでは!
09:20:00 - Mikamos - No comments

◆点と線を生きる


2011-07-01

今の自分を見つめなおしてみても、
これまでの自分には、歴史がある。


自分の親がいて、祖父母がいて、
脈々と繋がってきた結果として今がある。


今や今日という自分は「点」であると感じても、
その「点」が繋がって「線」になる。


今日、たとえ失敗をするようなことがあったとしても、
それは、連続する線の上の出来事。


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09:26:00 - Mikamos - No comments