Archive for August of 2011
◆忠告をありがとう
2011-08-31
夢を実現しようとしたときに、
それを反対する人が、必ず出てくる。
失敗したら、どうする?
止めておいた方がいい。
成功する確率は、云々。
こうした悲惨な失敗例がある。
一見、心配してくれているように見える。
しかし、そのほとんどは、
その人の価値観や観念の中の言葉。
そこには、明確な根拠はない。
こうした人たちを「ドリームキラー」という。
ドリームキラーは、往々にして身近な人に多い。
彼らは、決して悪気があるわけではない。
自分と違う世界に行って欲しくないだけだ。
夢に向かって一歩、踏み出すということ。
それは、明らかに別のステージに踏み出すこと。
今、彼らが、そうできなけれできないほど、
彼らは、今の現状に引き止めようとする。
そして、多くの挑戦者たちは、
このドリームキラーに負けてしまう。
彼らの言葉を端にした不安や恐怖に負ける。
彼らの愛情が、ドリームキラーとなる。
だから、そこで、彼らを疎ましく感じてはいけない。
「そう、忠告をありがとう」
そういって、自分の中で受け流しておく。
挑戦は、常にトントン拍子でうまくいかない。
チャレンジしている途中であっても、
彼らの「愛情」は、止まらないかもしれない。
「だから、いっただろ。今からでも止めておけ」
しかし、そこでも態度は変えない。
「そう、忠告をありがとう」
これは、「試験」だと思った方がいい。
次のステージに進む試験だ。
このドリームキラーの忠告の難関を、
すり抜けなければ、その次はない。
感謝の気持ちをもって、受け流そう。
それでは!
08:02:00 -
Mikamos -
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◆理由
2011-08-29
なぜ、それをするのか。
なぜ、そうしたいのか。
判っているはずだけれども、
いざ、明確にしようとすると言葉に詰まる。
何か色々ありそうで、なさそうで。
この「なぜ」に相当する理由の明確さ。
この明確さが、そのプロセスに影響を与える。
やる理由が明確でなければ、止めてもいい。
何も、誰も、そんなに傷つかない。
だから、どこかでエネルギーがセーブされる。
ナチス強制収容所から生還した、
ヴィクトール・フランクルは、こういう。
「生き延びなければならい理由があった」
そこに、学歴も、貧富の差も必要なかった。
ただ、その生き残る理由だけが、必要だった。
理由というのは、とても大きな動機となる。
何かが思うように、進めることができないなら、
もう一度、そのやらなければならない理由を明確にする。
ノートの前に座って、ただその理由を書きとめていく。
きれいに書こうとか、いい事を書こうとはしない。
それは、誰に見せるためのものでもない。
溢れ出る「理由」をただ書き綴ってみる。
そのプロセスが、明確な動機を与えてくれる。
やらなければならない理由。
どんないいことが、その先に待っているのか。
よし、やるぞ!という気持ちが、
自然と沸き起こってくれば、その先は近い。
それでは!
なぜ、そうしたいのか。
判っているはずだけれども、
いざ、明確にしようとすると言葉に詰まる。
何か色々ありそうで、なさそうで。
この「なぜ」に相当する理由の明確さ。
この明確さが、そのプロセスに影響を与える。
やる理由が明確でなければ、止めてもいい。
何も、誰も、そんなに傷つかない。
だから、どこかでエネルギーがセーブされる。
ナチス強制収容所から生還した、
ヴィクトール・フランクルは、こういう。
「生き延びなければならい理由があった」
そこに、学歴も、貧富の差も必要なかった。
ただ、その生き残る理由だけが、必要だった。
理由というのは、とても大きな動機となる。
何かが思うように、進めることができないなら、
もう一度、そのやらなければならない理由を明確にする。
ノートの前に座って、ただその理由を書きとめていく。
きれいに書こうとか、いい事を書こうとはしない。
それは、誰に見せるためのものでもない。
溢れ出る「理由」をただ書き綴ってみる。
そのプロセスが、明確な動機を与えてくれる。
やらなければならない理由。
どんないいことが、その先に待っているのか。
よし、やるぞ!という気持ちが、
自然と沸き起こってくれば、その先は近い。
それでは!
08:53:00 -
Mikamos -
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◆資産
2011-08-26
たとえば、貯金が100万円あるとする。
これは、資産だろうか?
「資産とは、新たな価値を生み出すもの」
この定義に基づけば、この貯金は資産ではない。
持ち家があるとする。
これも、この定義に基づけば資産とはいえない。
しかし、この持ち家の庭を駐車場として貸し出す、
または、二階を下宿として貸し出せば資産といえる。
どんなに高級車を持っていても、
それ自体は、資産だとはいえない。
維持費はかかっても、新しい価値は生まない。
しかし、それを貸し出すサービスを始めれば、
それは資産であるといえる。
自分の生活を豊かにしていくかどうかは、
持つものの価値そのものでは計れない。
対して、資産を持つことは、
豊かな生活を支えていくには、とても有効な手段だ。
100万円の貯金を投資して、50万の資産を買う。
一見、損をしているようにみえるかもしれない。
しかし、一旦資産が価値を生み出し始めれば、
100万円という貨幣価値では計れないものになる。
資産といえば、株とか土地とかのイメージが、
先行してしまうかもしれない。
しかし、学習や挑戦も、投資であり資産になる。
人より多く学べば、機会が増える。
機会が増えれば、経験も増す。
経験が増せば、新たな価値を生む期待は増す。
そして、自分の価値はあがり、新たな資産を作る。
投資とは、必ずしも金銭の支払いが伴うものでもない。
時間や労力の投資。
自分自身への投資は、損するリスクは少ない。
今、自分は資産を作るために何かをしているか。
今、自分はどれだけの資産を持っているか?
自分自身への投資に、迷いや不安は必要ない。
そこに築いたものは、盗まれることも失うこともない。
それでは!
これは、資産だろうか?
「資産とは、新たな価値を生み出すもの」
この定義に基づけば、この貯金は資産ではない。
持ち家があるとする。
これも、この定義に基づけば資産とはいえない。
しかし、この持ち家の庭を駐車場として貸し出す、
または、二階を下宿として貸し出せば資産といえる。
どんなに高級車を持っていても、
それ自体は、資産だとはいえない。
維持費はかかっても、新しい価値は生まない。
しかし、それを貸し出すサービスを始めれば、
それは資産であるといえる。
自分の生活を豊かにしていくかどうかは、
持つものの価値そのものでは計れない。
対して、資産を持つことは、
豊かな生活を支えていくには、とても有効な手段だ。
100万円の貯金を投資して、50万の資産を買う。
一見、損をしているようにみえるかもしれない。
しかし、一旦資産が価値を生み出し始めれば、
100万円という貨幣価値では計れないものになる。
資産といえば、株とか土地とかのイメージが、
先行してしまうかもしれない。
しかし、学習や挑戦も、投資であり資産になる。
人より多く学べば、機会が増える。
機会が増えれば、経験も増す。
経験が増せば、新たな価値を生む期待は増す。
そして、自分の価値はあがり、新たな資産を作る。
投資とは、必ずしも金銭の支払いが伴うものでもない。
時間や労力の投資。
自分自身への投資は、損するリスクは少ない。
今、自分は資産を作るために何かをしているか。
今、自分はどれだけの資産を持っているか?
自分自身への投資に、迷いや不安は必要ない。
そこに築いたものは、盗まれることも失うこともない。
それでは!
08:40:00 -
Mikamos -
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◆休息と栄養
2011-08-24
脳は、1日に600万回以上の思考をするという。
眠っている間も、記憶の整理を行うため、
脳が、休まるときは、ほとんど無い。
それを、意図的に休ませる方法が、
瞑想などの無思考状態を作ること。
それは、パソコンを一旦停止して、
しばらく置いてから、再起動するようなもの。
メモリが開放され、思考が明晰になる。
思考を停止して休ませる方法のほかに、
脳に「思考の栄養」を与える方法がある。
それが、「感謝」。
何かに感謝の気持ちを表現すると、
脳は、気持ちよさや心地よさを感じる。
一言で、「脳」といっても、脳と心は直結している。
脳と心は、切り離すことはできない。
だから、心の充足度は、脳に影響する。
そして、「感謝」という行為は、心を満たす。
それが、脳への栄養となる。
思考を停止して休ませるほかに、
感謝の気持ちという栄養を与える。
思考は明晰になり、適切な判断が可能となる。
結果、物事は良い方向へ進んでいく。
休息と栄養。
それが、必要なのは、身体だけではない。
フル稼働している脳にも配慮してみよう。
それでは!
眠っている間も、記憶の整理を行うため、
脳が、休まるときは、ほとんど無い。
それを、意図的に休ませる方法が、
瞑想などの無思考状態を作ること。
それは、パソコンを一旦停止して、
しばらく置いてから、再起動するようなもの。
メモリが開放され、思考が明晰になる。
思考を停止して休ませる方法のほかに、
脳に「思考の栄養」を与える方法がある。
それが、「感謝」。
何かに感謝の気持ちを表現すると、
脳は、気持ちよさや心地よさを感じる。
一言で、「脳」といっても、脳と心は直結している。
脳と心は、切り離すことはできない。
だから、心の充足度は、脳に影響する。
そして、「感謝」という行為は、心を満たす。
それが、脳への栄養となる。
思考を停止して休ませるほかに、
感謝の気持ちという栄養を与える。
思考は明晰になり、適切な判断が可能となる。
結果、物事は良い方向へ進んでいく。
休息と栄養。
それが、必要なのは、身体だけではない。
フル稼働している脳にも配慮してみよう。
それでは!
08:37:00 -
Mikamos -
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◆言い訳には、意思を被せる
2011-08-22
「自分のしたいことをしていいな」
そう思われることは、少なくない。
働く日も、仕事も比較的自由がきく。
それでいて、生活もそう悪くない。
周囲から見ればいいこと尽くめにも見えるらしい。
しかし、本人にしてみれば悩みは尽きない。
「隣の芝生は良く見える」の典型だろう。
ただ、本当は、どんな芝生にするかは、
自分で決めなければならない。
自分は、サラリーマンだから・・・、
自分には、資金がないから・・・。
理由は、いくらでもあるだろう。
しかし、真実は、「自分でそれを選んでいる」。
サラリーマンは、みんな我慢しているだろうか。
独立開業したものは、皆親のスネをかじっているだろうか。
○○だからという理由の多くは思い込みに過ぎない。
そして、その思い込みは、誰にでもある。
もう少し資金があれば、もう少し時間があれば。
思わずそう感じてしまうことは、よくある。
そのとき、必ず自分に問い直すことにしている。
「それは、真実か?」
そして、その多くは真実ではない。
自分で、枷(かせ)をはめている場合がほとんどだ。
そして、今、それをしないでいることも、
また、自分の選択なのだと理解するようにする。
何もかもが、事を急げば吉という訳ではない。
物事には、タイミングや準備というものがある。
理由(言い訳)をつけてやらないことと、
あえてやらないでおくことでは大きな違いある。
もし、自分がグズで言い訳を言い始めたら、
まずは、グズあるべき理由があるはずと考える。
なぜなら、本当は出来ない理由などないからだ。
今は、待つべきとき、そうすべきとき。
そうした意思を持てば、前向きになる。
言い訳を立てるくらいなら、意思を示す。
これが見苦しいかどうかは他人の判断。
そこに、自分の意思が明確にあることが大事なのだ。
出来ない理由などない。
あえて、そうしているのだ。
次の一歩は、ここから始まる。
それでは!
そう思われることは、少なくない。
働く日も、仕事も比較的自由がきく。
それでいて、生活もそう悪くない。
周囲から見ればいいこと尽くめにも見えるらしい。
しかし、本人にしてみれば悩みは尽きない。
「隣の芝生は良く見える」の典型だろう。
ただ、本当は、どんな芝生にするかは、
自分で決めなければならない。
自分は、サラリーマンだから・・・、
自分には、資金がないから・・・。
理由は、いくらでもあるだろう。
しかし、真実は、「自分でそれを選んでいる」。
サラリーマンは、みんな我慢しているだろうか。
独立開業したものは、皆親のスネをかじっているだろうか。
○○だからという理由の多くは思い込みに過ぎない。
そして、その思い込みは、誰にでもある。
もう少し資金があれば、もう少し時間があれば。
思わずそう感じてしまうことは、よくある。
そのとき、必ず自分に問い直すことにしている。
「それは、真実か?」
そして、その多くは真実ではない。
自分で、枷(かせ)をはめている場合がほとんどだ。
そして、今、それをしないでいることも、
また、自分の選択なのだと理解するようにする。
何もかもが、事を急げば吉という訳ではない。
物事には、タイミングや準備というものがある。
理由(言い訳)をつけてやらないことと、
あえてやらないでおくことでは大きな違いある。
もし、自分がグズで言い訳を言い始めたら、
まずは、グズあるべき理由があるはずと考える。
なぜなら、本当は出来ない理由などないからだ。
今は、待つべきとき、そうすべきとき。
そうした意思を持てば、前向きになる。
言い訳を立てるくらいなら、意思を示す。
これが見苦しいかどうかは他人の判断。
そこに、自分の意思が明確にあることが大事なのだ。
出来ない理由などない。
あえて、そうしているのだ。
次の一歩は、ここから始まる。
それでは!
08:33:00 -
Mikamos -
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◆願いの形
2011-08-19
数年前に願っていたこと。
そのメモを眺めていると気付く。
思っていた形とは違えども、
いろいろなことが、実際に実現している。
当時は、これが実現できれば、
もっと幸せになれるし満足できると思っていた。
しかし、それを手にしている現在では、
さほど、そういった実感はない。
なぜならば、今の状況は状況で、
異なる次元の悩みや問題を抱えているからだ。
何かを手にしても、新しい問題を探す。
本来ならば、問題にしなくてもよいのかもしれない。
人間の欲求は、尽きることがない。
ならば、いつ理想的で充実した生活が手に出来るのか。
おそらく、そう感じている以上は、
死ぬまで、手にすることはできないのだろう。
幸せや充実感は、「今」感じなければ、
将来、それを感じることはない。
「今でも、充分に充実している。
でも、もっと充実するためにはこうする」
こうした考え方は、いつも幸福感をもたらす。
「幸せだから笑顔になるのではない。
笑顔でいるから、幸せになれる」
この順序を忘れてはいけないのだと思う。
願いは、いつか叶う。
しかし、それと幸せを感じることは別だ。
そうだ、今、充分に感じよう。
それでは!
09:24:00 -
Mikamos -
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◆回り道の弊害
2011-08-17
回り道の方が、安全に見えることがある。
欲しい結果にまっすぐ進めば、結果は早い。
それが判っていても、「探り」をいれてしまう。
「探り」とは、そこからある反応を得て、
それから、結果を予測してみようとするもの。
これは、そもそも「探り」に対する「反応」という、
予め想定したシナリオがあって成立する。
しかし、現実にはシナリオどおりにはいかない。
なぜなら、それ自体が自分の価値観で作られるからだ。
そのシナリオに間違いが無いなら、
そもそも、選択を欲しい結果に向ければいい。
この矛盾した「回り道」は、ある感情に基づく。
それは、失敗に対する「恐怖」。
失敗することを恐れるあまり、
なるべく傷つかないように振舞う。
しかし、実際は、その振る舞い自体が、
うまくいかない結果を導くことも少なくない。
まずは、一度まっすぐぶつかってみる。
そうすると、意外とうまくいくことがわかる。
不安や恐れが、まったくの取り越し苦労だとわかる。
そして、まっすぐぶつかった方が、
たとえ、期待した結果でなくとも次の道は見えやすいもの。
余計な詮索をめぐらせるのはやめよう。
まっすぐ欲しい結果に進む選択が吉となる。
それでは!
09:20:00 -
Mikamos -
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◆筋力とバランス
2011-08-15
体を鍛えるというと、ある特定の部位に着目してしまう。
ピッチャーであれば、腕。
サッカーであれば、脚。
しかし、実際は、身体は全体のバランスから、
本来のチカラを発揮できるという。
その本質は、赤ちゃんから幼児期の行動に、
実に理に適った運動を見ることができる。
赤ちゃんは、まず仰向けの状態で体全体を動かす。
それが、全体をバランスよく向上させていく。
次に、うつぶせになるために、
腹筋と背筋を使って寝返りを始める。
うつぶせになることができれば、
四肢を使って這うことを始める。
そして、ハイハイでさらに四肢を鍛える。
そこまでのバランスを整えてから、
ようやく、2足歩行の訓練を始める。
歩くという行為を行うまでに、
必要な筋群をバランスよく作っていく。
そして、人は、一旦2足歩行を始めると、
特定の筋肉しか使わなくなってしまう。
特に、社会人になれば、それは顕著だ。
そうすれば、2足歩行のために鍛えるべき、
腹筋や背筋を使わず、足や手だけに頼ることになる。
これが、身体全体のバランスを崩していく。
その結果が、腰痛や肩こりとなって現れる。
いわゆる鍛えるという「縮める」だけではなく、
「伸ばす」という柔軟性も重要だ。
不調は、信号である。
それには、原因がある。
薬や薬剤は、対処療法であって、
その不調の原因を取り除くものではない。
調子が悪いと感じたら、バランスを考えよう。
何事も、バランスが大切なのだ。
それでは!
ピッチャーであれば、腕。
サッカーであれば、脚。
しかし、実際は、身体は全体のバランスから、
本来のチカラを発揮できるという。
その本質は、赤ちゃんから幼児期の行動に、
実に理に適った運動を見ることができる。
赤ちゃんは、まず仰向けの状態で体全体を動かす。
それが、全体をバランスよく向上させていく。
次に、うつぶせになるために、
腹筋と背筋を使って寝返りを始める。
うつぶせになることができれば、
四肢を使って這うことを始める。
そして、ハイハイでさらに四肢を鍛える。
そこまでのバランスを整えてから、
ようやく、2足歩行の訓練を始める。
歩くという行為を行うまでに、
必要な筋群をバランスよく作っていく。
そして、人は、一旦2足歩行を始めると、
特定の筋肉しか使わなくなってしまう。
特に、社会人になれば、それは顕著だ。
そうすれば、2足歩行のために鍛えるべき、
腹筋や背筋を使わず、足や手だけに頼ることになる。
これが、身体全体のバランスを崩していく。
その結果が、腰痛や肩こりとなって現れる。
いわゆる鍛えるという「縮める」だけではなく、
「伸ばす」という柔軟性も重要だ。
不調は、信号である。
それには、原因がある。
薬や薬剤は、対処療法であって、
その不調の原因を取り除くものではない。
調子が悪いと感じたら、バランスを考えよう。
何事も、バランスが大切なのだ。
それでは!
09:14:00 -
Mikamos -
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◆ゼロをイチに
2011-08-12
ゼロからイチにすることは、
イチをサンにすることよりも難しい。
ゼロからイチにするということ。
つまり、それは、「仕組みを作る」ということ。
仕組みが出来て動き始めれば、
あとは、慣性の法則が働くように動き始める。
この「慣性の法則」が働くことを称して、
「楽に結果が出せる」という場合がある。
この「楽に結果が出せる」というところだけに、
フォーカスしてしまってもうまくいかない。
なぜなら、ゼロをイチにすることが、
最も、困難で労力を伴う部分だからだ。
だから、仕組みを作るところで挫折する。
「もっと楽なんじゃなかったの?」と感じる。
イチからサンは、勢いまかせ。
しかし、ゼロからイチは、そうはいかない。
車が走り出す際にも、
始めに最もエネルギーが必要なように。
仕組み作りは、決して楽ではない。
だから、はじめから覚悟しておく。
楽して結果を出している人が周りにいるなら、
よく観察してみるといい。
その人は、「仕組み」を持っているはずだ。
そして、その「仕組み」は、真似し難いもの。
ゼロをイチにする覚悟を決める。
そして、一歩を踏み出したら、やり続ける。
あとは、「慣性の法則」を生かすだけ。
ここまで、辿り着ける人は、わずかだという。
多くの人は、それまでに諦めてしまう。
必要なことは、ゼロをイチにする覚悟と決断。
その瞬間に、すでに道は決まるのだろう。
それでは!
イチをサンにすることよりも難しい。
ゼロからイチにするということ。
つまり、それは、「仕組みを作る」ということ。
仕組みが出来て動き始めれば、
あとは、慣性の法則が働くように動き始める。
この「慣性の法則」が働くことを称して、
「楽に結果が出せる」という場合がある。
この「楽に結果が出せる」というところだけに、
フォーカスしてしまってもうまくいかない。
なぜなら、ゼロをイチにすることが、
最も、困難で労力を伴う部分だからだ。
だから、仕組みを作るところで挫折する。
「もっと楽なんじゃなかったの?」と感じる。
イチからサンは、勢いまかせ。
しかし、ゼロからイチは、そうはいかない。
車が走り出す際にも、
始めに最もエネルギーが必要なように。
仕組み作りは、決して楽ではない。
だから、はじめから覚悟しておく。
楽して結果を出している人が周りにいるなら、
よく観察してみるといい。
その人は、「仕組み」を持っているはずだ。
そして、その「仕組み」は、真似し難いもの。
ゼロをイチにする覚悟を決める。
そして、一歩を踏み出したら、やり続ける。
あとは、「慣性の法則」を生かすだけ。
ここまで、辿り着ける人は、わずかだという。
多くの人は、それまでに諦めてしまう。
必要なことは、ゼロをイチにする覚悟と決断。
その瞬間に、すでに道は決まるのだろう。
それでは!
09:31:00 -
Mikamos -
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◆「答え」に出会う場所
2011-08-10
「今」の積み重ねが、未来を作る。
このことは、理解している。
しかし、普段の生活の中で、
「今、この瞬間」を意識することは少ない。
こうしたらああなる、だからこうしよう。
こうだったから、今度はああならないようにしよう。
ひとつひとつの行動は、
未来を予測したり、過去にならったりしている。
今、この瞬間のやりとりであるスポーツさえ、
先を予測して不安になったりする。
それが、「集中できていない」状態であり、
いかに、「今、この瞬間」を意識することが難しいかわかる。
「今、この瞬間」に向き合うことは、
過去や未来に基づく、思考をやめること。
それは、自分の「中心」と向き合うこと。
この方法として、瞑想があげられるが、
どうしても雑念というのが、沸き起こってくる。
その雑念を排除するのではなく、
「中心」からのメッセージとして受け止める。
そこで、「思考」を絡ませない。
ただ、「受け止める」だけに留めておく。
それが、自分自身との対話となる。
いわゆる、「悟り」というのは、
こうした境地の先にあるのではないかと感じる。
答えは、外の世界にあるのではない。
常に、自分の中にある。
「今」を意識することは、自分自身を意識すること。
それは、すべての「答え」に出会うこと。
そうした時間を、少しでも持ちたいと思う。
それでは!
このことは、理解している。
しかし、普段の生活の中で、
「今、この瞬間」を意識することは少ない。
こうしたらああなる、だからこうしよう。
こうだったから、今度はああならないようにしよう。
ひとつひとつの行動は、
未来を予測したり、過去にならったりしている。
今、この瞬間のやりとりであるスポーツさえ、
先を予測して不安になったりする。
それが、「集中できていない」状態であり、
いかに、「今、この瞬間」を意識することが難しいかわかる。
「今、この瞬間」に向き合うことは、
過去や未来に基づく、思考をやめること。
それは、自分の「中心」と向き合うこと。
この方法として、瞑想があげられるが、
どうしても雑念というのが、沸き起こってくる。
その雑念を排除するのではなく、
「中心」からのメッセージとして受け止める。
そこで、「思考」を絡ませない。
ただ、「受け止める」だけに留めておく。
それが、自分自身との対話となる。
いわゆる、「悟り」というのは、
こうした境地の先にあるのではないかと感じる。
答えは、外の世界にあるのではない。
常に、自分の中にある。
「今」を意識することは、自分自身を意識すること。
それは、すべての「答え」に出会うこと。
そうした時間を、少しでも持ちたいと思う。
それでは!
09:30:00 -
Mikamos -
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◆くるくる
2011-08-08
車の片輪の動きを止めると、
車は、その場でくるくると回り始める。
その様子は、行き詰って焦っている、
自分の様子に、当てはめることができる。
何かをもたらせば、何かを失う。
そう感じていることは、多いかもしれない。
仕事の為に、家庭を犠牲に。
仕事の為に、趣味を犠牲に。
しかし、実際には、そんなことはない。
この生贄的な発想は、逆に物事を滞らせる。
一生懸命に頑張っていはいるものの、
なぜか、うまくいかないことが次々に起こる。
空回り感と虚しさ疲れに、ふと包まれる。
この状態は、ちょうど片輪の速度が遅く、
くるくると回っている車のようなものだ。
欲しい結果は、すべて同時に手に入れる。
そのための計画を立て、実践していく。
多くを望むことは、罪ではない。
そこに罪悪感は、一切必要ない。
むしろ、すべてをバランスよく満たすことが、
全体をまっすぐに進めるチカラとなる。
「これをやるから、これはなし」
これは、根拠のない思い込みや観念に過ぎない。
まずは、今の世ででは、余計で重たいだけの、
その鎧兜を脱ぎ去ることを始めよう。
そして、両輪をバランスよく回転させ、
チカラをまっすぐ前に振り向けよう。
そうすれば、もっと楽に辿り着けるだろう。
それでは!
車は、その場でくるくると回り始める。
その様子は、行き詰って焦っている、
自分の様子に、当てはめることができる。
何かをもたらせば、何かを失う。
そう感じていることは、多いかもしれない。
仕事の為に、家庭を犠牲に。
仕事の為に、趣味を犠牲に。
しかし、実際には、そんなことはない。
この生贄的な発想は、逆に物事を滞らせる。
一生懸命に頑張っていはいるものの、
なぜか、うまくいかないことが次々に起こる。
空回り感と虚しさ疲れに、ふと包まれる。
この状態は、ちょうど片輪の速度が遅く、
くるくると回っている車のようなものだ。
欲しい結果は、すべて同時に手に入れる。
そのための計画を立て、実践していく。
多くを望むことは、罪ではない。
そこに罪悪感は、一切必要ない。
むしろ、すべてをバランスよく満たすことが、
全体をまっすぐに進めるチカラとなる。
「これをやるから、これはなし」
これは、根拠のない思い込みや観念に過ぎない。
まずは、今の世ででは、余計で重たいだけの、
その鎧兜を脱ぎ去ることを始めよう。
そして、両輪をバランスよく回転させ、
チカラをまっすぐ前に振り向けよう。
そうすれば、もっと楽に辿り着けるだろう。
それでは!
09:30:00 -
Mikamos -
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◆順序
2011-08-05
楽しそうな人をみて、楽しくていいなと思う。
幸せそうな人をみて、幸せでいいなと思う。
そして、自分も、もっと幸せならば、
もっと、笑顔でいられるのに、と思う。
でも、真実は逆だという。
幸せだから、笑顔でいられるのではなく、
笑顔でいるから、幸せになれる。
ポジティブ思考の原点は、ここにある。
つまり、物事をいい方向に考えることが、
ポジティブ思考だということではない。
それを、行動にまで持ち上げること。
楽しいと思うならば、それを実感して表現すること。
ポジティブ思考でも、うまくいかないと感じるのは、
この、あともう一歩踏み込んだ取り組みがないため。
物事は、常に中立である。
それ自体には、いいも、悪いもない。
それに意味を与えるのは、
いつも、それを受け取った人の価値観。
人間、万事塞翁が馬。
何が幸で、何が不幸かなどは、
そのときどきの場面だけではわからない。
この教えは、はるか昔から変わらない。
だったら、いい方向に捉えた方が幸せだ。
たとえ、この世が、あと一ヶ月だとしても、
その一ヶ月間を、悩み苦しみながら過ごすか。
それとも、残りの人生を謳歌して過ごすか。
どちらも、同じ一ヶ月だ。
人は、必ず死を向かえる。
であれば、残りの期間をどう過ごすことが賢明か。
あれもよし、これもよし。
何はともあれ、笑ってみるか。
それでは!
07:31:00 -
Mikamos -
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◆自分の尺度
2011-08-03
「諦めきれない夢」に出会う旅。
それが、人生の目的のひとつだと思う。
早い段階で、そうした夢に出会えたなら、
それほど、幸せなことはない。
しかし、多くの人は、本当にしたいことを、
探しながら、日々の生活を送っている。
「成功の秘訣は、諦めないこと」
これに異論はない。
故に、諦めきれない夢に出会えれば、
成功は、約束されたようなもの。
だから、成功の法則を語るならば、
まずは、「諦めきれない夢」との出会い方。
それが、まず第一にあった方がいい。
ときどき、苦しみながら、迷いながら、
これが夢だと思ってしまうことがある。
そういうときは、それを実現したときの、
自分自身のイメージを描いてみる。
そこで、リアルな感情が起こらないようであれば、
それは、本当にしたいことではないかもしれない。
ただ、それは決して無駄ではないだろう。
その過程が、次のステップに必要だから。
諦めきれない夢を持ったとしても、
そこには、悩みや、苦しみはあるだろう。
不安と安心は、表裏一体だから、
それと同じだけのワクワクを感じられればいい。
今、追い続けいているもの。
それですら、本当の夢かどうかは判らない。
ただ、今、この道に全力を尽くせば、
また、違う道も見えてくることもあるだろう。
「人生は、何を得たかではない。
どういう人間であったかが重要だ」
こうした過程は、常に自分に、
どういう人間でありたいかを問いかける。
そして、人生いろいろ。
分野も活動の場もいろいろ。
カーネルサンダースは、自分のカフェを追いやられ、
チキンのレシピを売り歩いた。
他人は、カフェという夢を諦めたと思ったかもしれない。
しかし、彼は、それとは違う夢を描いていた。
龍馬が、脱藩したとき、
土佐勤皇党は、逃げたと失望した。
しかし、龍馬は、彼らとは違う夢を描いていた。
「世の人は、我を何とも言わば言え。
我為すことは我のみぞ知る」
他人の尺度に振り回されなくていい。
過去の偉人達の残してくれたものは、
それでいいのだと思い出させてくれる。
それでは!
07:27:00 -
Mikamos -
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◆使えるロードマップ
2011-08-01
ある目的を達成しようと始めたことに対して、
ある日、ふと気付くと、手段に傾倒していることがある。
いつまにか、手段が目的に変わってしまう。
この「すり替え」は、無意識に行われ、
手段が明確であるゆえ、麻薬のようなもの。
ゴルフは、健康とストレス解消のために始めた。
気付けば、シングルになるための苦悩とストレスの毎日。
デカイサカナを釣りたいと願っていた。
気付けば、それを釣るための道具を使うことに拘っていた。
業務を効率化するために改善を始めた。
気付けば、ITシステム化することが目的になっていた。
手段というのは、いつも具体的だ。
だから、漠然とした目的を追うよりも判りやすい。
人は、どうしても具体的でわかりやすいものに、
自然と傾倒していってしまう傾向は否めない。
だからこそ、「立ち返り」が必要だ。
そして、立ち返りのために、「目的の明確化」が重要だ。
それは、手段のひとつではないか。
本来の目的を見失ってはいないか。
それを、定期的に見直す機会がほしい。
どういった状況が実現したいのか。
そのときに、自分は何を感じていたいのか。
それを、言葉で明確に表すならば、
どう表現することができるだろうか。
その活動に名前を付けるとしたら、
どういった名前が適切だろうか。
一見、無駄に思えるこうした作業こそが、
近道を示すロードマップになることを忘れてはいけない。
それでは!
ある日、ふと気付くと、手段に傾倒していることがある。
いつまにか、手段が目的に変わってしまう。
この「すり替え」は、無意識に行われ、
手段が明確であるゆえ、麻薬のようなもの。
ゴルフは、健康とストレス解消のために始めた。
気付けば、シングルになるための苦悩とストレスの毎日。
デカイサカナを釣りたいと願っていた。
気付けば、それを釣るための道具を使うことに拘っていた。
業務を効率化するために改善を始めた。
気付けば、ITシステム化することが目的になっていた。
手段というのは、いつも具体的だ。
だから、漠然とした目的を追うよりも判りやすい。
人は、どうしても具体的でわかりやすいものに、
自然と傾倒していってしまう傾向は否めない。
だからこそ、「立ち返り」が必要だ。
そして、立ち返りのために、「目的の明確化」が重要だ。
それは、手段のひとつではないか。
本来の目的を見失ってはいないか。
それを、定期的に見直す機会がほしい。
どういった状況が実現したいのか。
そのときに、自分は何を感じていたいのか。
それを、言葉で明確に表すならば、
どう表現することができるだろうか。
その活動に名前を付けるとしたら、
どういった名前が適切だろうか。
一見、無駄に思えるこうした作業こそが、
近道を示すロードマップになることを忘れてはいけない。
それでは!
09:25:00 -
Mikamos -
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