Archive for August of 2011

◆忠告をありがとう


2011-08-31


夢を実現しようとしたときに、
それを反対する人が、必ず出てくる。


失敗したら、どうする?
止めておいた方がいい。


成功する確率は、云々。
こうした悲惨な失敗例がある。


一見、心配してくれているように見える。


しかし、そのほとんどは、
その人の価値観や観念の中の言葉。


そこには、明確な根拠はない。


こうした人たちを「ドリームキラー」という。
ドリームキラーは、往々にして身近な人に多い。


彼らは、決して悪気があるわけではない。
自分と違う世界に行って欲しくないだけだ。


夢に向かって一歩、踏み出すということ。
それは、明らかに別のステージに踏み出すこと。


今、彼らが、そうできなけれできないほど、
彼らは、今の現状に引き止めようとする。


そして、多くの挑戦者たちは、
このドリームキラーに負けてしまう。


彼らの言葉を端にした不安や恐怖に負ける。


彼らの愛情が、ドリームキラーとなる。
だから、そこで、彼らを疎ましく感じてはいけない。


「そう、忠告をありがとう」
そういって、自分の中で受け流しておく。


挑戦は、常にトントン拍子でうまくいかない。


チャレンジしている途中であっても、
彼らの「愛情」は、止まらないかもしれない。


「だから、いっただろ。今からでも止めておけ」


しかし、そこでも態度は変えない。
「そう、忠告をありがとう」


これは、「試験」だと思った方がいい。
次のステージに進む試験だ。


このドリームキラーの忠告の難関を、
すり抜けなければ、その次はない。


感謝の気持ちをもって、受け流そう。



それでは!
08:02:00 - Mikamos - No comments

◆理由


2011-08-29

なぜ、それをするのか。
なぜ、そうしたいのか。


判っているはずだけれども、
いざ、明確にしようとすると言葉に詰まる。


何か色々ありそうで、なさそうで。


この「なぜ」に相当する理由の明確さ。
この明確さが、そのプロセスに影響を与える。


やる理由が明確でなければ、止めてもいい。
何も、誰も、そんなに傷つかない。


だから、どこかでエネルギーがセーブされる。


ナチス強制収容所から生還した、
ヴィクトール・フランクルは、こういう。


「生き延びなければならい理由があった」


そこに、学歴も、貧富の差も必要なかった。
ただ、その生き残る理由だけが、必要だった。


理由というのは、とても大きな動機となる。


何かが思うように、進めることができないなら、
もう一度、そのやらなければならない理由を明確にする。


ノートの前に座って、ただその理由を書きとめていく。
きれいに書こうとか、いい事を書こうとはしない。


それは、誰に見せるためのものでもない。
溢れ出る「理由」をただ書き綴ってみる。


そのプロセスが、明確な動機を与えてくれる。


やらなければならない理由。
どんないいことが、その先に待っているのか。


よし、やるぞ!という気持ちが、
自然と沸き起こってくれば、その先は近い。


それでは!
08:53:00 - Mikamos - No comments

◆資産


2011-08-26

たとえば、貯金が100万円あるとする。
これは、資産だろうか?


「資産とは、新たな価値を生み出すもの」
この定義に基づけば、この貯金は資産ではない。


持ち家があるとする。
これも、この定義に基づけば資産とはいえない。


しかし、この持ち家の庭を駐車場として貸し出す、
または、二階を下宿として貸し出せば資産といえる。


どんなに高級車を持っていても、
それ自体は、資産だとはいえない。


維持費はかかっても、新しい価値は生まない。


しかし、それを貸し出すサービスを始めれば、
それは資産であるといえる。


自分の生活を豊かにしていくかどうかは、
持つものの価値そのものでは計れない。


対して、資産を持つことは、
豊かな生活を支えていくには、とても有効な手段だ。


100万円の貯金を投資して、50万の資産を買う。
一見、損をしているようにみえるかもしれない。


しかし、一旦資産が価値を生み出し始めれば、
100万円という貨幣価値では計れないものになる。


資産といえば、株とか土地とかのイメージが、
先行してしまうかもしれない。


しかし、学習や挑戦も、投資であり資産になる。


人より多く学べば、機会が増える。
機会が増えれば、経験も増す。


経験が増せば、新たな価値を生む期待は増す。
そして、自分の価値はあがり、新たな資産を作る。


投資とは、必ずしも金銭の支払いが伴うものでもない。


時間や労力の投資。
自分自身への投資は、損するリスクは少ない。


今、自分は資産を作るために何かをしているか。
今、自分はどれだけの資産を持っているか?


自分自身への投資に、迷いや不安は必要ない。
そこに築いたものは、盗まれることも失うこともない。



それでは!
08:40:00 - Mikamos - No comments

◆休息と栄養


2011-08-24

脳は、1日に600万回以上の思考をするという。


眠っている間も、記憶の整理を行うため、
脳が、休まるときは、ほとんど無い。


それを、意図的に休ませる方法が、
瞑想などの無思考状態を作ること。


それは、パソコンを一旦停止して、
しばらく置いてから、再起動するようなもの。


メモリが開放され、思考が明晰になる。


思考を停止して休ませる方法のほかに、
脳に「思考の栄養」を与える方法がある。


それが、「感謝」。


何かに感謝の気持ちを表現すると、
脳は、気持ちよさや心地よさを感じる。


一言で、「脳」といっても、脳と心は直結している。
脳と心は、切り離すことはできない。


だから、心の充足度は、脳に影響する。
そして、「感謝」という行為は、心を満たす。


それが、脳への栄養となる。


思考を停止して休ませるほかに、
感謝の気持ちという栄養を与える。


思考は明晰になり、適切な判断が可能となる。
結果、物事は良い方向へ進んでいく。


休息と栄養。


それが、必要なのは、身体だけではない。
フル稼働している脳にも配慮してみよう。



それでは!
08:37:00 - Mikamos - No comments

◆言い訳には、意思を被せる


2011-08-22

「自分のしたいことをしていいな」


そう思われることは、少なくない。
働く日も、仕事も比較的自由がきく。


それでいて、生活もそう悪くない。


周囲から見ればいいこと尽くめにも見えるらしい。
しかし、本人にしてみれば悩みは尽きない。


「隣の芝生は良く見える」の典型だろう。


ただ、本当は、どんな芝生にするかは、
自分で決めなければならない。


自分は、サラリーマンだから・・・、
自分には、資金がないから・・・。


理由は、いくらでもあるだろう。
しかし、真実は、「自分でそれを選んでいる」。


サラリーマンは、みんな我慢しているだろうか。
独立開業したものは、皆親のスネをかじっているだろうか。


○○だからという理由の多くは思い込みに過ぎない。
そして、その思い込みは、誰にでもある。


もう少し資金があれば、もう少し時間があれば。
思わずそう感じてしまうことは、よくある。


そのとき、必ず自分に問い直すことにしている。
「それは、真実か?」


そして、その多くは真実ではない。
自分で、枷(かせ)をはめている場合がほとんどだ。


そして、今、それをしないでいることも、
また、自分の選択なのだと理解するようにする。


何もかもが、事を急げば吉という訳ではない。
物事には、タイミングや準備というものがある。


理由(言い訳)をつけてやらないことと、
あえてやらないでおくことでは大きな違いある。


もし、自分がグズで言い訳を言い始めたら、
まずは、グズあるべき理由があるはずと考える。


なぜなら、本当は出来ない理由などないからだ。


今は、待つべきとき、そうすべきとき。
そうした意思を持てば、前向きになる。


言い訳を立てるくらいなら、意思を示す。


これが見苦しいかどうかは他人の判断。
そこに、自分の意思が明確にあることが大事なのだ。


出来ない理由などない。
あえて、そうしているのだ。


次の一歩は、ここから始まる。


それでは!
08:33:00 - Mikamos - No comments

◆願いの形


2011-08-19


数年前に願っていたこと。
そのメモを眺めていると気付く。


思っていた形とは違えども、
いろいろなことが、実際に実現している。


当時は、これが実現できれば、
もっと幸せになれるし満足できると思っていた。


しかし、それを手にしている現在では、
さほど、そういった実感はない。


なぜならば、今の状況は状況で、
異なる次元の悩みや問題を抱えているからだ。


何かを手にしても、新しい問題を探す。
本来ならば、問題にしなくてもよいのかもしれない。


人間の欲求は、尽きることがない。
ならば、いつ理想的で充実した生活が手に出来るのか。


おそらく、そう感じている以上は、
死ぬまで、手にすることはできないのだろう。


幸せや充実感は、「今」感じなければ、
将来、それを感じることはない。


「今でも、充分に充実している。
でも、もっと充実するためにはこうする」


こうした考え方は、いつも幸福感をもたらす。


「幸せだから笑顔になるのではない。
笑顔でいるから、幸せになれる」


この順序を忘れてはいけないのだと思う。


願いは、いつか叶う。
しかし、それと幸せを感じることは別だ。


そうだ、今、充分に感じよう。


それでは!
09:24:00 - Mikamos - No comments

◆回り道の弊害


2011-08-17


回り道の方が、安全に見えることがある。


欲しい結果にまっすぐ進めば、結果は早い。
それが判っていても、「探り」をいれてしまう。


「探り」とは、そこからある反応を得て、
それから、結果を予測してみようとするもの。


これは、そもそも「探り」に対する「反応」という、
予め想定したシナリオがあって成立する。


しかし、現実にはシナリオどおりにはいかない。
なぜなら、それ自体が自分の価値観で作られるからだ。


そのシナリオに間違いが無いなら、
そもそも、選択を欲しい結果に向ければいい。


この矛盾した「回り道」は、ある感情に基づく。


それは、失敗に対する「恐怖」。


失敗することを恐れるあまり、
なるべく傷つかないように振舞う。


しかし、実際は、その振る舞い自体が、
うまくいかない結果を導くことも少なくない。


まずは、一度まっすぐぶつかってみる。
そうすると、意外とうまくいくことがわかる。


不安や恐れが、まったくの取り越し苦労だとわかる。


そして、まっすぐぶつかった方が、
たとえ、期待した結果でなくとも次の道は見えやすいもの。


余計な詮索をめぐらせるのはやめよう。
まっすぐ欲しい結果に進む選択が吉となる。


それでは!
09:20:00 - Mikamos - No comments

◆筋力とバランス


2011-08-15

体を鍛えるというと、ある特定の部位に着目してしまう。


ピッチャーであれば、腕。
サッカーであれば、脚。


しかし、実際は、身体は全体のバランスから、
本来のチカラを発揮できるという。


その本質は、赤ちゃんから幼児期の行動に、
実に理に適った運動を見ることができる。


赤ちゃんは、まず仰向けの状態で体全体を動かす。
それが、全体をバランスよく向上させていく。


次に、うつぶせになるために、
腹筋と背筋を使って寝返りを始める。


うつぶせになることができれば、
四肢を使って這うことを始める。


そして、ハイハイでさらに四肢を鍛える。


そこまでのバランスを整えてから、
ようやく、2足歩行の訓練を始める。


歩くという行為を行うまでに、
必要な筋群をバランスよく作っていく。


そして、人は、一旦2足歩行を始めると、
特定の筋肉しか使わなくなってしまう。


特に、社会人になれば、それは顕著だ。


そうすれば、2足歩行のために鍛えるべき、
腹筋や背筋を使わず、足や手だけに頼ることになる。


これが、身体全体のバランスを崩していく。
その結果が、腰痛や肩こりとなって現れる。


いわゆる鍛えるという「縮める」だけではなく、
「伸ばす」という柔軟性も重要だ。


不調は、信号である。
それには、原因がある。


薬や薬剤は、対処療法であって、
その不調の原因を取り除くものではない。


調子が悪いと感じたら、バランスを考えよう。
何事も、バランスが大切なのだ。


それでは!
09:14:00 - Mikamos - No comments

◆ゼロをイチに


2011-08-12

ゼロからイチにすることは、
イチをサンにすることよりも難しい。


ゼロからイチにするということ。
つまり、それは、「仕組みを作る」ということ。


仕組みが出来て動き始めれば、
あとは、慣性の法則が働くように動き始める。


この「慣性の法則」が働くことを称して、
「楽に結果が出せる」という場合がある。


この「楽に結果が出せる」というところだけに、
フォーカスしてしまってもうまくいかない。


なぜなら、ゼロをイチにすることが、
最も、困難で労力を伴う部分だからだ。


だから、仕組みを作るところで挫折する。
「もっと楽なんじゃなかったの?」と感じる。


イチからサンは、勢いまかせ。
しかし、ゼロからイチは、そうはいかない。


車が走り出す際にも、
始めに最もエネルギーが必要なように。


仕組み作りは、決して楽ではない。
だから、はじめから覚悟しておく。


楽して結果を出している人が周りにいるなら、
よく観察してみるといい。


その人は、「仕組み」を持っているはずだ。
そして、その「仕組み」は、真似し難いもの。


ゼロをイチにする覚悟を決める。
そして、一歩を踏み出したら、やり続ける。


あとは、「慣性の法則」を生かすだけ。


ここまで、辿り着ける人は、わずかだという。
多くの人は、それまでに諦めてしまう。


必要なことは、ゼロをイチにする覚悟と決断。
その瞬間に、すでに道は決まるのだろう。


それでは!

09:31:00 - Mikamos - No comments

◆「答え」に出会う場所


2011-08-10

「今」の積み重ねが、未来を作る。
このことは、理解している。


しかし、普段の生活の中で、
「今、この瞬間」を意識することは少ない。


こうしたらああなる、だからこうしよう。
こうだったから、今度はああならないようにしよう。


ひとつひとつの行動は、
未来を予測したり、過去にならったりしている。


今、この瞬間のやりとりであるスポーツさえ、
先を予測して不安になったりする。


それが、「集中できていない」状態であり、
いかに、「今、この瞬間」を意識することが難しいかわかる。


「今、この瞬間」に向き合うことは、
過去や未来に基づく、思考をやめること。


それは、自分の「中心」と向き合うこと。


この方法として、瞑想があげられるが、
どうしても雑念というのが、沸き起こってくる。


その雑念を排除するのではなく、
「中心」からのメッセージとして受け止める。


そこで、「思考」を絡ませない。
ただ、「受け止める」だけに留めておく。


それが、自分自身との対話となる。


いわゆる、「悟り」というのは、
こうした境地の先にあるのではないかと感じる。


答えは、外の世界にあるのではない。
常に、自分の中にある。


「今」を意識することは、自分自身を意識すること。
それは、すべての「答え」に出会うこと。


そうした時間を、少しでも持ちたいと思う。


それでは!
09:30:00 - Mikamos - No comments

◆くるくる


2011-08-08

車の片輪の動きを止めると、
車は、その場でくるくると回り始める。


その様子は、行き詰って焦っている、
自分の様子に、当てはめることができる。


何かをもたらせば、何かを失う。
そう感じていることは、多いかもしれない。


仕事の為に、家庭を犠牲に。
仕事の為に、趣味を犠牲に。


しかし、実際には、そんなことはない。
この生贄的な発想は、逆に物事を滞らせる。


一生懸命に頑張っていはいるものの、
なぜか、うまくいかないことが次々に起こる。


空回り感と虚しさ疲れに、ふと包まれる。


この状態は、ちょうど片輪の速度が遅く、
くるくると回っている車のようなものだ。


欲しい結果は、すべて同時に手に入れる。
そのための計画を立て、実践していく。


多くを望むことは、罪ではない。
そこに罪悪感は、一切必要ない。


むしろ、すべてをバランスよく満たすことが、
全体をまっすぐに進めるチカラとなる。


「これをやるから、これはなし」
これは、根拠のない思い込みや観念に過ぎない。


まずは、今の世ででは、余計で重たいだけの、
その鎧兜を脱ぎ去ることを始めよう。


そして、両輪をバランスよく回転させ、
チカラをまっすぐ前に振り向けよう。


そうすれば、もっと楽に辿り着けるだろう。


それでは!
09:30:00 - Mikamos - No comments

◆順序


2011-08-05


楽しそうな人をみて、楽しくていいなと思う。
幸せそうな人をみて、幸せでいいなと思う。


そして、自分も、もっと幸せならば、
もっと、笑顔でいられるのに、と思う。


でも、真実は逆だという。


幸せだから、笑顔でいられるのではなく、
笑顔でいるから、幸せになれる。


ポジティブ思考の原点は、ここにある。


つまり、物事をいい方向に考えることが、
ポジティブ思考だということではない。


それを、行動にまで持ち上げること。
楽しいと思うならば、それを実感して表現すること。


ポジティブ思考でも、うまくいかないと感じるのは、
この、あともう一歩踏み込んだ取り組みがないため。


物事は、常に中立である。
それ自体には、いいも、悪いもない。


それに意味を与えるのは、
いつも、それを受け取った人の価値観。


人間、万事塞翁が馬。


何が幸で、何が不幸かなどは、
そのときどきの場面だけではわからない。


この教えは、はるか昔から変わらない。
だったら、いい方向に捉えた方が幸せだ。


たとえ、この世が、あと一ヶ月だとしても、
その一ヶ月間を、悩み苦しみながら過ごすか。


それとも、残りの人生を謳歌して過ごすか。
どちらも、同じ一ヶ月だ。


人は、必ず死を向かえる。
であれば、残りの期間をどう過ごすことが賢明か。


あれもよし、これもよし。
何はともあれ、笑ってみるか。


それでは!
07:31:00 - Mikamos - No comments

◆自分の尺度


2011-08-03


「諦めきれない夢」に出会う旅。
それが、人生の目的のひとつだと思う。


早い段階で、そうした夢に出会えたなら、
それほど、幸せなことはない。


しかし、多くの人は、本当にしたいことを、
探しながら、日々の生活を送っている。


「成功の秘訣は、諦めないこと」
これに異論はない。


故に、諦めきれない夢に出会えれば、
成功は、約束されたようなもの。


だから、成功の法則を語るならば、
まずは、「諦めきれない夢」との出会い方。


それが、まず第一にあった方がいい。


ときどき、苦しみながら、迷いながら、
これが夢だと思ってしまうことがある。


そういうときは、それを実現したときの、
自分自身のイメージを描いてみる。


そこで、リアルな感情が起こらないようであれば、
それは、本当にしたいことではないかもしれない。


ただ、それは決して無駄ではないだろう。
その過程が、次のステップに必要だから。


諦めきれない夢を持ったとしても、
そこには、悩みや、苦しみはあるだろう。


不安と安心は、表裏一体だから、
それと同じだけのワクワクを感じられればいい。


今、追い続けいているもの。
それですら、本当の夢かどうかは判らない。


ただ、今、この道に全力を尽くせば、
また、違う道も見えてくることもあるだろう。


「人生は、何を得たかではない。
どういう人間であったかが重要だ」


こうした過程は、常に自分に、
どういう人間でありたいかを問いかける。


そして、人生いろいろ。
分野も活動の場もいろいろ。


カーネルサンダースは、自分のカフェを追いやられ、
チキンのレシピを売り歩いた。


他人は、カフェという夢を諦めたと思ったかもしれない。
しかし、彼は、それとは違う夢を描いていた。


龍馬が、脱藩したとき、
土佐勤皇党は、逃げたと失望した。


しかし、龍馬は、彼らとは違う夢を描いていた。


「世の人は、我を何とも言わば言え。
我為すことは我のみぞ知る」


他人の尺度に振り回されなくていい。


過去の偉人達の残してくれたものは、
それでいいのだと思い出させてくれる。


それでは!
07:27:00 - Mikamos - No comments

◆使えるロードマップ


2011-08-01

ある目的を達成しようと始めたことに対して、
ある日、ふと気付くと、手段に傾倒していることがある。


いつまにか、手段が目的に変わってしまう。


この「すり替え」は、無意識に行われ、
手段が明確であるゆえ、麻薬のようなもの。


ゴルフは、健康とストレス解消のために始めた。
気付けば、シングルになるための苦悩とストレスの毎日。


デカイサカナを釣りたいと願っていた。
気付けば、それを釣るための道具を使うことに拘っていた。


業務を効率化するために改善を始めた。
気付けば、ITシステム化することが目的になっていた。


手段というのは、いつも具体的だ。
だから、漠然とした目的を追うよりも判りやすい。


人は、どうしても具体的でわかりやすいものに、
自然と傾倒していってしまう傾向は否めない。


だからこそ、「立ち返り」が必要だ。
そして、立ち返りのために、「目的の明確化」が重要だ。


それは、手段のひとつではないか。
本来の目的を見失ってはいないか。


それを、定期的に見直す機会がほしい。


どういった状況が実現したいのか。
そのときに、自分は何を感じていたいのか。


それを、言葉で明確に表すならば、
どう表現することができるだろうか。


その活動に名前を付けるとしたら、
どういった名前が適切だろうか。


一見、無駄に思えるこうした作業こそが、
近道を示すロードマップになることを忘れてはいけない。


それでは!

09:25:00 - Mikamos - No comments