◆オリジナル
2011-12-09
オリジナリティやオンリー・ワン。
これからの時代に求められるものとして挙げられる。
オリジナリティとは何か?
その答えは、最もオリジナリティ溢れるところにある。
それは、「自分」。
自分という人間は、二人として存在しない。
自分に似た人間は、世の中に3人いるというが、
生きてきた過程や、考え方までは同じではない。
この個性こそが、最もオリジナルである。
つまり、オリジナリティとは、自分から出されるもの。
それは、決して「新しいもの」という定義ではない。
何かのインプットを自分というフィルターに通す。
オリジナルとは、それによって出てくるアウトプット。
そういうイメージでもない。
自分というナベの中に、いろいろなものを入れて、
自分の好きなエッセンスを抽出する。
そのエッセンスをベースに表現すればオリジナル。
つまり、たとえそれが、同じものであっても、
それに加えるエッセンスによる解釈が異なればオリジナル。
そうやって生まれたものは、意外と多い。
いや、ほとんどのものが、そうだといっていいだろう。
だから、オリジナリティとは、外に捜し求めるものではない。
自分の内にあるものを、抽出してくることをいう。
外に捜し求めている以上、本当のオリジナルは生まれない。
自分の存在自体がオリジナル。
そこに、すでにオリジナルな価値があるということ。
まずは、それを信頼することから、オリジナルは生まれる。
今の時代は、それを表現できる時代。
いや、表現するべき時代であるといえるだろう。
世の中は、そのオリジナリティを求めている。
それでは!
07:49:00 -
Mikamos -
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◆矛盾
2011-12-07
利益追求と社会貢献、セキュリティ確保と利便性追及、
コスト削減とサービス向上、成果主義と福祉制度。
世の中の事柄というのは、いつも矛盾に満ち満ちている。
どちらかを追求すれば、どちらかが阻害される。
これは、社会的仕組みだけではなく、
個人の感情や行動レベルにも現れてくる。
こうした葛藤に出会ったとき、人は悩む。
そして、どちらに舵を切るべきかを考える。
しかし、そこで「割り切って」しまうと、何かを失う。
そして、そこで失うものは、決して小さくない。
だから、矛盾は、矛盾として捉えておく。
どちらかを選択しなければならないという考え方を止める。
では、どうすればいいのか。
振り子のように、振れていればいい。
片方に振れれば、もう片方に振れる。
振り子が同じ周期で振れるように行ったり来たり。
これを繰り返せば、バランスは取れる。
どっちなんだ!と攻められるかもしれない。
「どっちでもある」という答えでいい。
世の中は、矛盾だらけだ。
矛盾する事柄双方を受け入れバランスをとる。
器の大きい人間というのは、
この矛盾を受け入れられる度合いだという話もある。
実際に、世の中の事柄というのは、
この矛盾の間を行ったり来たりしながら進化している。
矛盾は、割り切らない。
今、どちらかを選択するということは、
その先もそれを選択し続けるということにはならない。
振りすぎたら戻す。
バランスよく「進化」するには、それだけでいい。
それでは!
07:47:00 -
Mikamos -
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◆状況作り
2011-12-05
ストレートが決まるのは、ボディ攻めの伏線があるから。
恋愛の殺し文句が決まるのは、それまでの状況作りがあるから。
つまり、どんな必殺技も、それ単体では決まらない。
その必殺技が、どんなに優れていたとしても。
そう考えると、必殺技を身に着けることも大事だが、
それ以上に、状況作りもまた、大切であることがわかる。
そういった意味で、単体の必殺技というのは存在しないといえる。
しかし、悲しいかな人というのは、
手っ取り早く結果が「出せそうな」必殺技ばかりに目が向く。
必殺技が生きる状況を見極めること。
必殺技を学ぶならば、それも同時に学ぶことだ。
それをしないで、必殺技を繰り出しても、それが決まることはない。
つまり、必殺技が、必殺技ではなくなってしまう。
テクニックに溺れて失敗するケースのほとんどはこれだ。
結果だけを見れば、それは必殺技が決まったかのようにみえる。
しかし、単純に、それだけを真似てみても同じ結果は出ない。
技やテクニックというのは、そういうものだ。
シークレット技の真のシークレットは、そこにあるといえる。
状況作りこそ、ほんとうのテクニックであることを認識しよう。
それでは!
07:33:00 -
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◆自由の証
2011-12-02
所ジョージさんが車好きなのは、よく知られたこと。
そして、所さんはいう。
「今流行りのエコカーは、面白くない」
車を荷物や人を運ぶ道具とだけみれば、
エコカーのコンセプトは当てはまるのかもしれない。
しかし、それでは面白くない。
エコではないけど、面白い車に乗りたいという。
それを、焼きイモになぞらえてこう説明する。
「電子レンジでも、焼きイモは作れるよね。
でも、俺は落ち葉を拾って集めた焚き火で焼く焼きイモが好き」
手間もかかるし、煙も二酸化炭素も出てエコじゃないかもしれない。
でも、だからこそ特別な美味しさがそこにあるような気がする。
こうした”喜び”をすべて、悪とするならば、
それを突き詰めていけば、世の中のほとんどのものはなくなる。
肉だって食べなくても生きていける。
お菓子だって、パンだってなくても生きていける。
空腹を満たして、栄養が摂れることだけに着目するなら、
中華料理も、フランス料理も、お酒さえもいらない。
そう考えれば、世の中、無駄なものばかりだ。
しかし、人は必要最低限のものだけでは生きてはいけない。
そこに好き嫌いがあって、個性があるから生きていける。
その無駄にこそ価値があるからこそ、
商品やサービスが多種多様化し、ブランドやセグメントができる。
そして、それを選ぶという楽しさが加わる。
たとえ、他人に認められなくても、
自分の中にある”譲れない無駄”を大切にしよう。
誰にも邪魔されない無駄を持つ。
それが、自由であることの証であるようにも感じる。
それでは!
07:06:00 -
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◆詮索のトリガ
2011-11-30
あの人の態度は、こういう意味ではないか。
あの言葉の意味は、こういう気持ちの表れではないか。
そして、こうした”詮索”が、ストレスを招く。
そうした愚痴を聞かされるとき、それを相手に確認したかを問う。
すると、確認していない場合がほとんどだ。
つまり、その”詮索”のほとんどは、真実ではない。
勝手な思い込みに過ぎない場合が多いということだ。
さらに、こうした勝手な思い込みが、相手への態度を変えてしまい、
関係をさらに悪化させてしまうのは、とても惜しいことだ。
相手にしてみれば、なぜそういう態度をとられるのかわからない。
”理不尽な対応”として映るばかりで、分は良くない。
このように、自分をストレスのサイクルに巻き込むのは、
どうしようもないことを詮索することに起因する場合が少なくない。
そして、その”負のサイクル”のトリガを自分で引いている。
それさえやめてしまえば、ストレスからは解放される。
その一番の方法は、そのトリガを無視することだ。
真実ではない、コントロールできない、
それが確認できれば、何も考えることなく手放すことだ。
人は、他人の批判を最も恐れる傾向にある。
それは、自分の自尊心を傷つけることになるからだ。
そもそも、すべての人から好かれようとすることを、
やめなければならない。
それは、誰一人として実現不可能なことだからだ。
タバコの煙がストレスを感じる人もいれば、
タバコを吸わなければストレルを感じる人もいる。
ほんの些細なことでも価値観は違う。
その度合いが大きければ大きいほど、その差は極端になる。
だから、人気のあるアーティストは、
熱烈なファンがいる一方で、強烈なアンチも同じくらいいる。
嫌われる度合いが大きいということは、
それだけ、個性や価値観がはっきりしているということがいえる。
つまり、逆にファンも思い入れ度も、大きくなる。
だから、「誰にでも好かれる」ということは、
「個性をなくす」ということと、ほぼイコールだといえる。
空気のような存在であれば、誰の批判も受けないだろう。
「認められたい。
でも、誰のどんな些細な批判も受けたくない」
そんな、矛盾した期待には、決別しなければならない。
それは、混乱を引き起こすだけだ。
まずは、余計な詮索や思い込みをやめる。
そのトリガを手放すことだ。
そして、どんどん、尖ってしまえばいい。
それは、決して恥ずかしいことではない。
多くの人は、それをみて羨ましいと感じるはずだ。
それでは!
08:03:00 -
Mikamos -
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◆ハッピーを計画する
2011-11-28
計画的に行動することは、難しいだろうか。
計画を立てても、そのとおりに行かない。
計画を立てる時間がない。
「計画しないことは、失敗を計画することだ」
この助言は、とても正しい。
計画は、意図の表れ。
自分は、こうするという意思表示でもある。
それは、些細なことでも構わない。
とにかく、計画し、それを実行してみる。
すると、思いのほか、計画通りに運ぶことも多いと気づく。
「どうなるかわからないから、決めない」
これは、他人にハンドルを渡すような行為。
言い換えれば、「あなたの言うとおりにします」。
この表現に抵抗を感じる人は多いだろう。
しかし、「決めない」ということの意味は、そういうことだ。
計画して、計画通りにいかないことを危惧する人もいるだろう。
それが、”失敗”として烙印を押すことになることを恐れる。
これは、大きな間違い。
それは、単に”調整行為”でしかない。
車の運転も、タイピングも小さな失敗を繰り返し学習してきた。
自分の枠組みでは、こなしきれないと理解できたに過ぎない。
だから、次の計画を改めればいい。
この繰り返しは、自分を理解することにもつながる。
自分に向いていること、不向きなことも見えてくる。
そして、徐々に”計画的に”ことが運ぶようになる。
それが、”計画すれば実現する”という意識を生む。
その意識こそが、計画することの本当のチカラだといえる。
「自分の決めたことを、決めたとおりにする」
それが、難しくないと理解できれば、ハッピーに違いない。
それでは!
08:00:00 -
Mikamos -
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◆先取りのイメージ
2011-11-25
やらなければと思っていることがある。
その必要性も、十分に理解している。
しかし、重い腰が上がらない。
日常生活の中には、そういったことが多々ある。
その原因は、いろいろとあるだろう。
それは、脳が暗にNOのメッセージを出しているのかもしれない。
ただ、漠然とした不安や変化にNOを出している場合もある。
それは、脳の安全装置が稼動している証拠。
安全領域から出ることを、脳が拒んでいる証拠だ。
太っている自分は、昨日も今日も太っている。
そして、昨日も今日も、”安全”に暮らしてきた。
突然痩せることは、”安全領域”から出ることになる。
変化に対して、脳が拒否反応を示しているのかもしれない。
自分を変えたいという思いと脳の安全装置が合意していない状態。
しかし、それは、自分にとって必ずしもプラスではない。
その装置をオフにする方法がある。
それが、”イメージによる先取り”だ。
脳は、現実に見ていることと、イメージの区別が付かない。
だから、具体的にイメージすれば、現実と”錯覚”する。
つまり、「それでも、安全だ」と理解してくれる。
脳を”騙せた”ならば、あとはスムーズにことが運ぶ。
だから、重い腰を上げるには、
具体的にそれを実行しているイメージをすることだ。
先取りのイメージ。
自分を変えたいならば、まずはイメージすることだ。
それでは!
その必要性も、十分に理解している。
しかし、重い腰が上がらない。
日常生活の中には、そういったことが多々ある。
その原因は、いろいろとあるだろう。
それは、脳が暗にNOのメッセージを出しているのかもしれない。
ただ、漠然とした不安や変化にNOを出している場合もある。
それは、脳の安全装置が稼動している証拠。
安全領域から出ることを、脳が拒んでいる証拠だ。
太っている自分は、昨日も今日も太っている。
そして、昨日も今日も、”安全”に暮らしてきた。
突然痩せることは、”安全領域”から出ることになる。
変化に対して、脳が拒否反応を示しているのかもしれない。
自分を変えたいという思いと脳の安全装置が合意していない状態。
しかし、それは、自分にとって必ずしもプラスではない。
その装置をオフにする方法がある。
それが、”イメージによる先取り”だ。
脳は、現実に見ていることと、イメージの区別が付かない。
だから、具体的にイメージすれば、現実と”錯覚”する。
つまり、「それでも、安全だ」と理解してくれる。
脳を”騙せた”ならば、あとはスムーズにことが運ぶ。
だから、重い腰を上げるには、
具体的にそれを実行しているイメージをすることだ。
先取りのイメージ。
自分を変えたいならば、まずはイメージすることだ。
それでは!
07:21:00 -
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◆世界観
2011-11-23
人は、それぞれ世界観を持っている。
平易に表現するなら、価値観といっていいかもしれないが、
ある程度の人たちで共有できるという点で世界観と表現したい。
ルイ・ヴィトンのバッグを持つことの世界観、
燃費の悪い米国車を持つことの世界観。
そうした世界観を同じにする人たちが、
市場にセグメントをつくり、ブランドを作っていく。
そうした世界観を支えているのは、
その人ひとり一人が持っている物語だ。
ルイ・ヴィトンを持つことによる自分のイメージ。
米国車を乗ることによる自分のイメージ。
そして、その多くは、「こう見られたい」という、
他人からの印象を期待して物語を描いている。
しかし、その”物語”の多くは幻想だ。
同じ世界観を持っている人もいれば、
そうでない人もまた、同じくらい、またはそれ以上にいる。
つまり、多くの人は、自分に”偽りの物語”を信じ込ませ、
その世界観を作り出し、維持することの礎にしている。
この”都合のいいウソ”は、個性やアイデンティティにまで及ぶ。
そして、企業は、自社の世界観を浸透させるために、
あるゆる手段を講じ、お金を投資している。
この世界観こそが、”自分の価値”であるともいえる。
今、自分の持っている世界観は、自分のものなのか。
それとも、企業やメーカーに与えられたものなのか。
そこに立ち返ってみると、様々な気づきがある。
自分の本当に望む世界観が、他のところにあることに気づくこともある。
同じ釣りを行うにしても、そこには様々な世界観がある。
そして、その世界観によって、楽しみ方も違ってくる。
もし、好きなことなのに楽しめない要素があるとするなら、
本当は、自分は、違う世界観を望んでいるのかもしれない。
心をオープンにして確かめてみよう。
自分は、本当はどんな物語を期待しているのだろうか。
それでは!
平易に表現するなら、価値観といっていいかもしれないが、
ある程度の人たちで共有できるという点で世界観と表現したい。
ルイ・ヴィトンのバッグを持つことの世界観、
燃費の悪い米国車を持つことの世界観。
そうした世界観を同じにする人たちが、
市場にセグメントをつくり、ブランドを作っていく。
そうした世界観を支えているのは、
その人ひとり一人が持っている物語だ。
ルイ・ヴィトンを持つことによる自分のイメージ。
米国車を乗ることによる自分のイメージ。
そして、その多くは、「こう見られたい」という、
他人からの印象を期待して物語を描いている。
しかし、その”物語”の多くは幻想だ。
同じ世界観を持っている人もいれば、
そうでない人もまた、同じくらい、またはそれ以上にいる。
つまり、多くの人は、自分に”偽りの物語”を信じ込ませ、
その世界観を作り出し、維持することの礎にしている。
この”都合のいいウソ”は、個性やアイデンティティにまで及ぶ。
そして、企業は、自社の世界観を浸透させるために、
あるゆる手段を講じ、お金を投資している。
この世界観こそが、”自分の価値”であるともいえる。
今、自分の持っている世界観は、自分のものなのか。
それとも、企業やメーカーに与えられたものなのか。
そこに立ち返ってみると、様々な気づきがある。
自分の本当に望む世界観が、他のところにあることに気づくこともある。
同じ釣りを行うにしても、そこには様々な世界観がある。
そして、その世界観によって、楽しみ方も違ってくる。
もし、好きなことなのに楽しめない要素があるとするなら、
本当は、自分は、違う世界観を望んでいるのかもしれない。
心をオープンにして確かめてみよう。
自分は、本当はどんな物語を期待しているのだろうか。
それでは!
08:18:00 -
Mikamos -
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◆循環
2011-11-21
いくら高価なケーキだからといって、
食べることなく、保存しておくことをするだろうか。
滞留させると腐る。
これは、食べ物に限らず、
世の中のあらゆる事柄に対して言えること。
血液や体液の滞留は、様々な病気を引き起こす。
食物連鎖の滞留は、異常発生などを引き起こす。
人間関係の滞留は、うつ病などを引き起こす。
大気の滞留は、異常気象を引き起こす。
身近なものでいえば、積み上げた本は腐る。
放置すればするほど、手に取る機会はなくなる。
滞留の反対は、循環。
物事は、循環させると正常な状態に戻ろうと機能する。
だから、どうしようもないようなことも、「循環」させることが賢明だ。
ここでいう、「循環」が、実際どういった活動になるかは、
それぞれの場合で、異なってくるだろう。
その活動が、直接的に効果があるかどうかは問題ではない。
循環のプロセスが、徐々に正常な状態にしてくれる。
迷ったなら循環させることに意識を向ける。
行き詰ったら、無理やりにでも循環させようとしてみる。
仕事でも、勉強でも、趣味の世界でも、循環。
インプットしたなら、アウトプット。
知識も情報も循環させる。
すると、新しい情報は、どんどん入ってくる。
人間関係もお金も、仕事も、すべて循環させる。
人は、決して一人では生きられない。
必ずどこかに、少なくとも他と接点を持って生きている。
それが、循環させることが必要である証拠だ。
それでは!
食べることなく、保存しておくことをするだろうか。
滞留させると腐る。
これは、食べ物に限らず、
世の中のあらゆる事柄に対して言えること。
血液や体液の滞留は、様々な病気を引き起こす。
食物連鎖の滞留は、異常発生などを引き起こす。
人間関係の滞留は、うつ病などを引き起こす。
大気の滞留は、異常気象を引き起こす。
身近なものでいえば、積み上げた本は腐る。
放置すればするほど、手に取る機会はなくなる。
滞留の反対は、循環。
物事は、循環させると正常な状態に戻ろうと機能する。
だから、どうしようもないようなことも、「循環」させることが賢明だ。
ここでいう、「循環」が、実際どういった活動になるかは、
それぞれの場合で、異なってくるだろう。
その活動が、直接的に効果があるかどうかは問題ではない。
循環のプロセスが、徐々に正常な状態にしてくれる。
迷ったなら循環させることに意識を向ける。
行き詰ったら、無理やりにでも循環させようとしてみる。
仕事でも、勉強でも、趣味の世界でも、循環。
インプットしたなら、アウトプット。
知識も情報も循環させる。
すると、新しい情報は、どんどん入ってくる。
人間関係もお金も、仕事も、すべて循環させる。
人は、決して一人では生きられない。
必ずどこかに、少なくとも他と接点を持って生きている。
それが、循環させることが必要である証拠だ。
それでは!
08:08:00 -
Mikamos -
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◆自分フィルター
2011-11-18
倒産や自己破産などのニュースは尽きない。
そういったケースの中には、
負債額が、何十億、何百億といったケースもある。
そういったニュースを聞くと、
まず、それだけの負債が出来るということに驚く。
到底、今の自分が何気に銀行にいって、
十億貸してほしいといったところで貸してはくれない。
今のままの自分では、
「十億の負債を抱えて破産」ということはできない。
つまり、そういった「失敗」をしようとしてもできないことに気付く。
逆の見方をしてみれば、
このことは、次のことを表していることになる。
「自分の身の回りの出来事は自分の手の届く範囲のものばかり」
今の自分で、解決できない問題は、
自分の身の回りには起きないといえる。
また、自分で解決できる問題以外では、
人は、悩み心配することはないといえる。
確かに、日頃、殺し屋に狙われる心配はしない。
何百人という聴衆の前で演説する不安もない。
いずれも、今の自分からは無縁だからだ。
自分を、もし山にたとえたとするなら、
いくら恐れても、山より大きな猪が出ることはない。
だから、どんな逆境にあったとしても、
それは必ず、自分のチカラで解決できる。
そう信じて事にあたろう。
諦めれば、道は閉ざされる。
信じれば、道は見つかる。
それは、乗り換えた自分の車を、
街でよく見かけるようになることに似ている。
それは、おそらくいつもそこにあったに違いない。
必要なものや機会というものも、
本当は、いつもそこにあるのではないだろうか。
見ようと思えば見えるし、
見ようとしなければ、見えない。
自分の持つフィルターを、
意識的に、意思を持って調節しよう。
それでは!